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武将 記事まとめ

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#日本美術

〈織田信長〉⇒〈小多春永〉? 浮世絵の人物名が何かおかしい件

 今回は浮世絵に描かれた、歴史上の人物の名前に関するお話。まずは、下の絵を見てみてください。 歌川芳虎「名将四天鑑 小多春永公」大判錦絵 元治元年(1864)9月 5人の武将が描いてありますが、それぞれの武将の脇に名前が書いてあります。しかし「武智光秀」とは、、?「明智光秀」ではなく?? この作品、戦国時代の武将である織田信長とその家臣団を描いた絵なのですが、武将たちの名前は下記のように、史実の名前を微妙に一部もじったものになっているのです。 織田信長 ⇒ 小多春永

髭切と膝丸という刀剣が登場する浮世絵のお話

日本刀の「髭切」と「膝丸」。ゲーム「刀剣乱舞」でも人気キャラクターとなっていますが、その姿は浮世絵の中にも描かれていますので、ご紹介したいと思います。 ※今回紹介する作品は、現在、太田記念美術館では展示しておりません。 髭切(ひげきり)まずは、「髭切」。『平家物語』剣巻によれば、平安時代、源満仲が刀鍛冶に作らせた2本の刀が、髭切と膝丸でした。そのため、ゲーム「刀剣乱舞」の中では、兄弟という設定になっています。 髭切は、罪人の首を斬った際、髭もそのまま一緒に斬れたことから

武田信玄の家臣のみなさんに、甲冑の着方を教えてもらいました。

歌川貞秀の「武田勇士揃」。武田信玄の家臣たち17名がずらりと並んだ、大判6枚続の浮世絵ですが、右から順番にたどっていくと、甲冑の着方が分かる、珍しい趣向になっています。そこで、武田信玄の家臣のみなさんに協力していただき、甲冑の着方を教えてもらいましょう。(あくまでこの絵に基づいて説明します) ①「下着(したぎ)」。ふんどしを付けた後、下着を着て、帯を締めます。モデルは「小山田備中守」こと小山田虎満。 ②「下袴(したばかま)」。小袴とも呼ばれる七分丈の袴を穿きます。モデルは

江戸・明治時代の明智光秀はこんな顔をしていました

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公になった明智光秀。江戸時代から明治時代にかけて刊行された浮世絵の中にも、明智光秀の姿はさまざまに描かれています。今回は、太田記念美術館のコレクションの中から、明智光秀が登場する浮世絵を探してみました。 まずは、歌川芳虎の「名将四天鑑 小多春永公」。元治元年(1864)作。江戸時代は、戦国武将たちの名前をそのまま表記することができませんでしたので、それに近い名前に変更されています。 織田信長(小多春永)と4名の重臣たちという、豪華メンバ

月岡芳年は明智光秀推しだった?というお話

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀ですが、以前に月岡芳年の「月百姿」を調査していた際、明智光秀とその家臣たちを扱った作品が多いなと感じていました。もしかしたら芳年は明智光秀が好きだったのかも?ということで、「月百姿」の明智光秀と家臣たちについて調べてみました。 そもそも「月百姿」とは、月にまつわる日本や中国の歴史や物語を題材とした浮世絵版画。全100点からなる膨大なシリーズですが、その中に戦国武将が登場する作品は13点あります。武将たちの名前を挙げると、以下の

三国志の劉備や関羽が、美女やマッチョにもなるというお話

こちらの美人画。作者は歌川国貞です。雪が降りしきる中、3人の美女たちが、傘をさしたり、お盆に載せた料理を運んだりしています。左側にある建物を訪問するところなのでしょう。これだけ見れば、ごくありふれた雪の日のワンシーンです。 ここで題名を見てみましょう。「玄徳風説訪孔明 見立」と記されています。すなわち、『三国志演義』の劉備玄徳が、風と雪の中、諸葛亮孔明を訪れる場面であるというのです。 劉備玄徳が諸葛亮孔明を訪れる場面といえば、皆さんご存じの「三顧の礼」。劉備が孔明を軍師と