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200年前の歌舞伎の劇場に潜入してみた。

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歌川豊国「中村座劇場図」。江戸時代の有名な劇場のひとつである、中村座の場内を描いた作品です。舞台上には役者たちが勢揃いし、客席には、現在のコロナ状況下では考えられないくらい、ぎっしりとお客さんが詰め込まれています。本図が描かれたのは、今から200年以上前にあたる、寛政10年(1798)。江戸の劇場に潜入して、中の様子をながめてみましょう.

江戸の大劇場、中村座とは?

中村座は、江戸幕府が公許した3つの大劇場「江戸三座」のひとつ。「二丁町(にちょうまち)」と呼ばれる、芝居町にありました。二丁町には江戸三座のうち中村座、市村座の2つの大劇場があるだけでなく、人形芝居の小屋や、見世物小屋、芝居茶屋なども立ち並ぶ、江戸のブロードウェイ的な場所でした。

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歌川広重「東都名所 二丁町芝居ノ図」(現在展示しておりません)。通りの雰囲気はこんな感じ。大勢の人々でごった返していますね。場所は現在の人形町駅付近にあたります。

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手前に描かれているのが、中村座。奥が市村座です。四角い箱のようなものが屋根の上に載っていますが、これを「櫓」といい、幕府から公許された芝居小屋であることを示すものでした。

櫓の下あたりに並べられているのは芝居の一場面を絵にした絵看板や、芝居の名題(タイトル)などを記載した看板類。「市川海老蔵丈」など、役者の名前を記した幟(のぼり)もはためいていますね。通りを行き交う人の中には、劇場に届ける食べ物を担いだ人たちの姿も見えます。

場内に入ってみる

それでは、いよいよ木戸をくぐり、場内に入ってみましょう。

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花道

図13
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画面左手に見えるのは、役者が出入りしたり、演技をする花道。現在の歌舞伎の劇場にもありますね。

室内に屋根がある?「破風」

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パッとみて、現在の劇場と大きく違う、、というところがあります。まず気になるのは役者が並ぶ舞台の上の方にある屋根のような装飾。これを「破風」といいます。

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破風の真ん中に見えるのは中村座の紋である「隅切り角に銀杏」。でも、なぜ室内なのに、屋根のようなものがあるのでしょうか?

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これについては、古い時代の劇場を描いた絵を見ると、その答えがわかります。図は作者不詳「中村座芝居興行図巻」(現在展示しておりません)で、江戸初期の中村座を描いたもの。古い時代には、芝居は基本的には野外でみるもので、舞台の上と、一部の客席に屋根があるだけでした。図でも舞台の上だけに屋根があり、周りでは地べたにすわって客が観劇していることがわかります。

享保時代(1716~36)頃には、劇場全体を屋根で覆うようになったと言われていますが、古い時代の名残で、舞台の上には屋根のような破風の装飾が残りました。この破風も、文化文政期(1804~30)になると、せり上げや回り舞台など、大仕掛けの普及により、廃れていくことになります。

引幕

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画面左側には引幕があります。こちらも現代の劇場とはだいぶ違う感じですね。

芝居幕

舞台の上の方に紐が通してあります。幕間には紐をつたって引幕を移動させ、舞台を覆ったものと思われます。

黒御簾

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黒御簾3

画面右手にあるのは「黒御簾(くろみす)」。下座ともいい、舞台に合わせた音楽を演奏する場所です。ちらりと太鼓を手にした人が見えています。なお現代の劇場では、黒御簾はこの絵とは逆の舞台下手側にあります。

照明

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明かり窓

江戸時代の劇場は、現代のように電気照明がなかったので薄暗く、採光は左右の客席の上にあった明かり窓によって行われました。

また自然光以外には、燭台を用いたり、面明かりといって花道の役者を手持ちの照明で照らす手法がありました。

燭台2

図でも、「火の用心」と書かれたあたりに、燭台らしきものが描かれています。

客席ー土間と切落(きりおとし)

平土間

次に客席をみてみましょう。現代の劇場と違い、舞台をぐるりと取り囲む形になっているのが、面白いですね。奥の方の席は舞台を真横から眺めるようになっています。

平土間2

舞台の正面の席を見てみましょう。赤で示した部分の右側と左側でどうもようすが違うようです。

図1
平土間4

右側は数人ごとに仕切りで区切られています。着飾った女性が多く見えており、その中にちらほらと男性が混じっていますね。こちらは土間あるいは土間割合といって、少しお高い席になります。

客3

若い女性たちの中で煙管をふかしながら芝居を楽しむ、雰囲気のよい初老の男性。芝居通でしょうか。

図2
客5

対して左側は、仕切り板がない切落(きりおとし)の席。リーズナブルな席で、たくさんの男性たちがぎゅう詰めになっています。土間の雰囲気と対象的ですね。

なお文化元年(1804)の河原崎座という劇場の記録では、切落が64文だったそうです。そば一杯の約4倍ですから、現在の感覚でいうと1500円くらいといったところでしょうか。

もう少し客席のようすをみてみましょう。

図3
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舞台そっちのけで、草双紙(大衆小説)を楽しむ女性二人組。

図4
客6 もらい火

煙管のもらい火をする、男性客。

図5
客8 お乳

赤ん坊にお乳をあげる女性。

図6
客9

お客のもとに食べ物をとどける女性。

図7
客10

黒い頭巾と着物に身を包んだ男性。刀を挿しているので、お忍びで芝居を見に来た武士でしょうか。

桟敷席ーセレブ御用達の高級席

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桟敷席7

劇場の両側に並ぶのは、桟敷席と呼ばれる高級席。数人ごとに区切られた空間になっています。『演劇大百科事典』(平凡社)では一間、7人詰あたりで35匁から40匁くらいとしており、今の感覚だと45000~50000円くらいでしょうか。

時代や上演によっても異なったようで、先述の文化元年の記録では、桟敷席の代金は15匁(もんめ)とあります。今の感覚で20000円弱くらいでしょうか。現代の歌舞伎劇場にも桟敷席がありますが、これだとチケット代はちょうど同じくらいですね。

図16
桟敷席5

高価な席である桟敷席には、いかにもお金持ちそうな人たちの姿が。手すりの手前には、食べ物やお菓子などが置かれているようです。

桟敷席4

気になるのがこの男性。女性を連れて、いかにも粋な通人といった雰囲気。桟敷席では、人々はそれぞれ緋毛氈を持ち込み、手すりに掛けたそうですが、この男性だけが緋毛氈ではなく、市松模様のおしゃれな毛氈を使っています。

桟敷席の後ろの戸が少しだけ開いて、覗いている人たちが見えますが、これは劇場の従業員でしょうか。

後ろから芝居をみる!?ー羅漢台

図10

さて、さまざまな席を見てきましたが、舞台下手の後ろにも席らしきものがあるのが気になります。

羅漢台

なんと立ち見。こちらは「羅漢台」という安価な席でした。

羅漢台3

この位置だと役者の背中しか見えませんよね。ここから見るなんて、よっぽどの芝居好きの人たちなのでしょう。

五百羅漢

ちなみに、人が立ち並ぶ様子が五百羅漢寺の羅漢さんのようだったので、この名がついたと言われます。上は現在の江東区大島のあたりにあった、五百羅漢寺の五百羅漢像(『江戸名所図会』より。国立国会図書館蔵)。たしかに、わちゃわちゃとした羅漢台の雰囲気と似ていますね。以上、200年前の歌舞伎の劇場へ潜入してみました。

文:渡邉 晃(太田記念美術館 上席学芸員)


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