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忘れられたラスト・ウキヨエー木版口絵とは?

皆さんは「木版口絵(もくはんくちえ)」というものをお聞きになったことがあるでしょうか?浮世絵好きの方でもあまり耳にしたことがないかもしれません。

木版口絵とは、明治20年代半ば、すなわち1891年頃以降から大正初期にかけて、小説の単行本や文芸雑誌、あるいは実用書の巻頭に挿入された一枚摺りの版画のことを言います。

まずは実物をご覧になっていただくのが手っ取り早いでしょう。こちらは『明治文庫』第12編。石橋思案の短編小説8編を収録した本です。刊行は明治27年(1894)。大きさは縦22.5㎝、横15.1㎝、厚さ1㎝。ほぼA5サイズです。

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さて、表紙をめくりますと、このような感じ。巻頭に絵のようなものが挟み込まれています。

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挟み込まれた絵を広げてみたのがこちら。季節は桜の咲く春。丸い窓のそばで、女性が読書を楽しんでいる様子です。これが、書籍の冒頭を美しく飾る「木版口絵」です。作者は武内桂舟(たけうち・けいしゅう)。木版口絵の歴史を築いた第一人者です。

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江戸時代の浮世絵とは異なる淡い色彩のため、木版画に見えないかもしれませんが、れっきとした木版画です。木の板を彫って、紙に摺るという、江戸時代の浮世絵版画と変わらない技法で作られています。

ただ、パッと見たところ木版画に思えないのも事実。精巧な作りです。

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しかしながら、木版口絵を裏返してみると、木版画であることがはっきりと分かります。バレンで摺った跡がしっかりと残っています。

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この木版口絵の大きさは22.0×28.6㎝。だいたいA4サイズです。私たちがふだん目にする浮世絵は大判と呼ばれるサイズが多いのですが、それよりもひと回り以上小さいです。たとえば、歌川広重の「東海道五拾三次之内」と比べてみると、ご覧のとおり。

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しかし、小さいからといって、手を抜いて作っている訳ではありません。彫りも摺りも、その技術は江戸時代と変わらないどころか、より一層進化しています。

本はページに書かれている文字まで、桜は花弁や雄しべ、葉脈まで、細かいところもしっかりと彫られています。

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女性の髪の毛も見てみましょう。髪の毛には艶墨が使われており、光の当たる角度を変えると、ご覧のように、髪の毛の線が光ってみえます。

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さらに彫りのテクニックのスゴさが分かるのが、髪の毛の生え際。1ミリよりも細い線で、髪の毛が彫られています。その細かさは、江戸や明治の他の一般的な浮世絵に引けを取りません。

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木版口絵は、小説の一場面を絵画化されているものもあれば、この『明治文庫』第12編のように、書籍の内容と関係なく、単に美しい女性の姿を描いたものもあります。いずれにしろ、この華やかな木版口絵が、書籍の売り上げを大きく左右するほど、当時は重要な存在だったのです。

『明治文庫』第12編のページをめくっていくと、ご覧のように、文字だけが続き、挿絵は1点もありません。巻頭の木版口絵がこの本の中の唯一の彩りだったのです。

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さて、この木版口絵ですが、書籍に挟み込まれているという特性のため、書籍本体から取り外されてしまっているということがしばしばあります。そのため、それらの口絵がどの書籍のものであるのか、あるいは、いつ頃に制作されたものかなど、作品の情報が失われやすい環境にありました。

また、文学を元に制作された絵画であるということが、浮世絵の研究から敬遠される一因になったと推測されます。事実、木版口絵は、浮世絵版画の技術を受け継ぎながらも、浮世絵研究者たちの間で、浮世絵の歴史に連なるものとみなされていません。いや、その存在さえも認知されていないと言っていいでしょう。

しかしながら、すでにご覧いただいたように、木版口絵は、浮世絵版画の技術がふんだんに用いられています。しかも、朝日智雄氏によれば、すでに5千数百図の種類が確認されており、さらに未見の口絵が約2千図はあるだろうと推測されているほどの膨大な量です。木版口絵は近代文学の単なる添物ではなく、まさしく「ラスト・ウキヨエ」と呼ぶべき、浮世絵の歴史の掉尾を飾る存在なのです。

太田記念美術館では、木版口絵の個人コレクションとしては世界最大であろう朝日智雄氏のコレクションから111点を厳選し、「鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵 ―朝日智雄コレクション」展を、2021年5月21日(金)~6月20日(日)に開催します。明治20年代から大正初期にかけての浮世絵版画の到達点、そしてその最後の輝きを堪能できる本当に貴重な機会です。ぜひ知られざる「ラスト・ウキヨエ」の世界に触れてみてください。今まで見たことがない、木版画のテクニックのスゴさに驚かされます。

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※この記事で掲載した木版口絵は、朝日智雄コレクションではなく、筆者所蔵のものです。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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