雪晴れの朝の空ー葛飾北斎「冨嶽三十六景 礫川雪の旦」
葛飾北斎の代表作と言えば、日本各地から眺めた富士山を描いた「冨嶽三十六景」ですが、全部で46点ある中で、雪景色を描いた作品は、実はたったの1点しかありません。歌川広重が雪を得意としていたことと比べると、ちょっと意外な感じがします。
雪景色を描いた唯一の「冨嶽三十六景」が「礫川雪ノ旦(こいしかわゆきのあした)」です。礫川とは小石川のことで、現在の東京都文京区の西側にあたります。
題名を拡大して文字をよく見ると、「雪ノ且」とあります。「且」ですと「かつ」とか「しばらく」という意味になりますので、訳が分かりません。これは「旦」=「あした(早朝)」という文字を、北斎が書き間違えたか、彫師が彫り間違えたのでしょう。
一晩降り続いた雪は、「旦」、すなわち早朝になる頃には止んだようです。空はすっきりと晴れ渡り、冬の冷たく澄んだ空気が感じられます。
さっそく雪見をしようという風流な人たちは、見晴らしの良い茶店に足を運んだようです。茶店の換気はかなり良さそうですが、密の状態。思わぬ混雑に、女中は慌ただしそうに膳を運んでいます。
目の前は一面の銀世界となった江戸の町と、遠くにそびえる富士山。普段は賑やかな江戸の町も、今この時は、普段見ることのできない美しい絶景となっています。
ちょっと気になるのは、茶店にいる女性客の一人が、欄干から身を乗り出すようにして、何か遠くを指さしているところ。雪晴れの澄んだ空気の先に奇麗に見える富士山を指さしているのでしょうか。
それとも、上空を舞っている、三羽の大きな鳥を指さしているのでしょうか。
作品全体を見ると、シミか汚れのように感じられるかもしれませんが、アップにしてみると、ちゃんと鳥の形をしていることが分かります。この大きさですと鳶か鷲でしょうか。
いずれにしろ、彼女が遠くを指しているという仕草のおかげで、雪晴れの空の広がりが、より一層、印象強く感じられます。
ちなみに描かれている場所は、東京都文京区春日1丁目に位置する牛天神社こと、現在の牛天神北野神社と思われます。『江戸名所図会』巻之四(国立国会図書館蔵)を見ると、牛天神社はかなり小高い丘の上にあったことが分かります。
ちょうど富士山の見える西の方角が崖になっていまして、ご覧のように、その眺望を楽しめる茶店が立ち並んでいました。先ほどの雪見を楽しんでいた人たちも、この辺りにいたのではないでしょうか。
小石川の牛天神社付近は武家屋敷が多いこともあり、名所絵の題材として選ばれることが少なく、北斎を含め、他の絵師たちの作例もなかなか思い当たりません。北斎がそんな珍しい場所を選んだのは、もしかすると、北斎が実際にこの場所で雪晴れの景色を眺めたことが、きっかけになったのかもしれません。
※この作品は、太田記念美術館で2021年8月29日まで開催の「江戸の天気」展に出品しています。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)
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