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髭切と膝丸という刀剣が登場する浮世絵のお話

日本刀の「髭切」と「膝丸」。ゲーム「刀剣乱舞」でも人気キャラクターとなっていますが、その姿は浮世絵の中にも描かれていますので、ご紹介したいと思います。

※今回紹介する作品は、現在、太田記念美術館では展示しておりません。

髭切(ひげきり)

まずは、「髭切」。『平家物語』剣巻によれば、平安時代、源満仲が刀鍛冶に作らせた2本の刀が、髭切と膝丸でした。そのため、ゲーム「刀剣乱舞」の中では、兄弟という設定になっています。

髭切は、罪人の首を斬った際、髭もそのまま一緒に斬れたことから、その名前がつきました。髭切は、ある事件をきっかけに「鬼丸」という名前に変わるのですが、そのエピソードを描いた浮世絵がこちら。

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楊洲周延の「東錦昼夜競 渡辺綱」です。『平家物語』剣巻によれば、平安時代の武将である渡辺綱(わたなべのつな)が、京都・一条の堀川に架かる戻橋のところで、一人の美女に出会います。五条のあたりまで送って欲しいと頼まれた綱は、美女を馬に乗せることに。(ただしこの浮世絵では、綱は四条橋から羅生門に向かう途中と説明されています。)

しかし、この女性の正体は、なんと鬼。突然正体を現わし、渡辺綱の髪の毛を掴んでそのまま飛び去ろうとしましたが、綱は慌てることなく、鬼の腕を斬り落とし、難を逃れます。その時、鬼の腕を斬り落としたという太刀が、こちらの「髭切」です。

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ちなみに、ボストン美術館が所蔵する、歌川国芳「滝口内舎人渡邉綱」では、綱が鬼の腕を斬り落とそうとする瞬間が描かれていますので、ご参照ください。絵の中の説明にも「一條戻り橋の辺にて髭切丸の太刀を以茨鬼童子の腕を斬」と、「髭切丸」という太刀の名前がしっかりと書かれています。

さてその後、渡辺綱は、安倍晴明のアドバイスを受け、鬼の片腕を箱に入れて封印します。すると、綱の養母でもある伯母が訪ねてきて、鬼の腕を見たいとせがみます。その願いに根負けして、鬼の腕を見せる綱。しかし実は、先ほどの腕を斬られた鬼が、綱の伯母に化けていたのです。

こちらは月岡芳年「芳年漫画 渡辺綱と茨木童子」。伯母に化けた鬼が、箱の中の腕を取り戻そうとする直前の瞬間です。

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渡辺綱の後ろには、立派な太刀が飾られています。今回参照している『平家物語』剣巻には何も書かれていませんが、おそらくこの太刀が「髭切」でしょう。

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片腕を取り戻した鬼は、正体を現わし、飛び去って行きます。鬼の腕を斬り落とした髭切は、この事件の後、「鬼丸」と名前を改めました。

膝丸(ひざまる)

次は「膝丸」です。髭切と一緒に作られました。こちらは、罪人を斬った際、膝まで斬れたことから、その名前が付きました。

この膝丸も、ある事件を境に、名前が「蜘蛛切」へと変わりました。こちらも『平家物語』剣巻にそのエピソードが記されています。

先に登場した渡辺綱が仕えていた源頼光。この頼光が高熱にうなされてしまい、長い間、床に伏せるのですが、実は土蜘蛛(山蜘蛛)という妖怪による仕業でした。ある晩、その土蜘蛛が頼光の枕元に現れ、蜘蛛の糸を投げつけます。

その瞬間を描いた浮世絵が、太田記念美術館のツイッターでもこれまでしばしば紹介してきた、月岡芳年「新形三十六怪撰 源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」です。一部では、土蜘蛛は襲いかかっているのではなく、頼光にお布団をかけてあげているようだと評判です。

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土蜘蛛の攻撃を察知した頼光。枕元にあった膝丸を手に取って起き上がり、土蜘蛛に斬りかかります。

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こちらがその膝丸。斬られた土蜘蛛は姿を消しますが、頼光とその部下たちが血の跡をたどり、土蜘蛛の巣を見つけて退治しました。この事件の後、膝丸は「蜘蛛切」と名前を改めます。

さて、芳年の浮世絵には、実は参照したであろう元ネタがあります。師匠である歌川国芳が描いた「和漢準源氏 源頼光 薄雲」です。お布団をかけてあげようとする土蜘蛛の仕草がよく似ています。

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頼光が手にしているのが、膝丸です。芳年の浮世絵よりも、全体が見えやすく、柄や鞘の装飾まで細かく描写されています。

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鞘からちょっとだけ抜かれた刀身が、チラリと見えていますね。膝丸好きの方は、お見逃しなく!

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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