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【オンライン展覧会】源平合戦から鎌倉へ-清盛・義経・頼朝

太田記念美術館にて、2022年7月1日~7月24日まで開催の「源平合戦から鎌倉へ」展のオンライン展覧会です。展示作品全63点の画像および作品解説を掲載しています。
note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくようにお楽しみいただけます。
オンライン展覧会の入館料は、実際の展覧会と同じ800円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。いつでも、どこでも、好きな時に展覧会をご鑑賞ください。

展覧会チラシデザイン

はじめに

平安時代末期に起きた治承・寿永の乱(1180~85)は俗に「源平合戦」とも呼ばれ、平氏と源頼朝を中心とした武士たちによる激しい戦いが繰り広げられました。そして頼朝が平家を滅ぼして鎌倉幕府を開いたのちも、頼朝の後継者や北条氏を中心とした有力御家人たちによる、権謀術数うずまく勢力争いの時代が続きます。
 武士たちによる一族の存亡をかけた戦いのエピソードは、古くから『平家物語』や『吾妻鏡』などの軍記物によって普及しました。江戸時代には小説や歌舞伎などで親しまれ、浮世絵でも人気の題材となって数多くの作品が描かれています。
 最近では、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」やアニメ「平家物語」やでも再び注目を集めているこの時代を取り上げ、平清盛、源義経、源頼朝をはじめ、浮世絵を通して武士たちの栄枯盛衰をたどる展覧会です。

Ⅰ 清盛と平家全盛

平清盛(1118~81)は平氏の頭領で、保元の乱(1156)、平治の乱(1159)を経て台頭しました。太政大臣へと上り詰め、娘の徳子を高倉天皇へ入内させるなど、平家全盛の時代を築きます。一方、源氏の頭領である源義朝は平治の乱で敗れて命を落とし、頼朝、義経ら息子たちは不遇の時代を過ごしました。しかし治承4年(1180)、以仁王の挙兵を機に頼朝らが反旗を翻し、平家劣勢となる中、清盛は病に倒れます。
浮世絵では、『平家物語』などで親しまれた平清盛と平家全盛にまつわるさまざまなエピソードが題材となっています。また義経が牛若丸と名乗った幼少期の伝説も、多くの浮世絵に描かれました。

№1 月岡芳年「芳年武者旡類 左兵衛佐源頼朝」大判 明治19年(1886)10月

馬に乗った若武者姿の源頼朝が、一刀のもとに敵を切り倒している。具体的な場面は不明だが、頼朝が13歳の頃に起きた平治の乱(1159)の一場面を描いたものと推測される。同乱で頼朝の父である義朝は清盛に敗れ、東国に落ちる途中に長田忠致に討たれてしまう。頼朝は伊豆へ流されて不遇の時代を過ごすこととなった。

№2 水野年方「雪月花之内 常盤御前雪中之図」大判3枚続 明治17年(1884)12月

常盤御前が今若、乙若、牛若の三人の子とともに、雪の中を歩む様子を描く。常盤御前の胸に抱かれるのが、のちに義経となる牛若である。平治の乱で源義朝が清盛に敗れて殺害されると、義朝の側室であった常盤御前とその子供たちも、大和国へと逃れることになる。

№3 歌川国芳 牛若鞍馬修行図 大判3枚続 安政5年(1858)4月

牛若丸が木刀を手にして、襲いかかる鞍馬天狗との立ち回りを繰り広げている。謡曲「鞍馬天狗」などで知られる、牛若丸が鞍馬山の大天狗・僧正坊に武術を教わったという伝説を題材とした作品。背景の樹木の影には、義経の家臣として知られる喜三太が姿を覗かせている。

№4 二代勝川春章 源義仲四天王ともに木曽の奥山に天狗を退治す 大判3枚続 天保(1830~44)頃

画面中央に描かれるのは駒王丸(画中では駒若丸)で、木曽義仲の幼き日の姿。義仲の父である義賢は、大蔵合戦で義朝の長男である悪源太義平に討たれ、幼い義仲は信州木曽へと落ちのびて成長する。図は義仲が今井兼平ら、義仲四天王たちとともに天狗を退治している場面を描く。

№5 歌川芳艶 熊坂張範を討つ牛若丸 大判3枚続 安政6年(1859)5月

牛若丸が金売吉次に伴われ、奥州の藤原秀衡のもとに下る途中、盗賊である熊坂長範に襲われるという、謡曲「熊坂」などで知られる場面。図では牛若丸が身軽な動きで、熊坂と大勢の手下たちを翻弄している。手下たちが一斉に突き刺したのは先ほどまで義経が羽織っていた着物で、すでに当人は画面左へと逃れたあとである。

№6 月岡芳年 芳年武者旡類 源牛若丸 熊坂長範 大判 明治16年(1883)12月

前図と同じく、牛若丸と熊坂長範の戦いを描いた作品。ひらりと宙を舞いながら斬りかかる義経を、熊坂が体を反らせながら薙刀で防ごうとしている。両者の躍動感あふれる立ち回りを、芳年が巧みに捉えた作品。

№7 勝川春章 五條橋 大判 安永(1772~81)頃

謡曲「橋弁慶」などで知られる、五条橋での牛若丸と武蔵坊弁慶との戦いを描く。薙刀(なぎなた)を振るう弁慶に対し、牛若丸は扇を広げて余裕の表情で応戦している。橋を渡る人々から刀を奪い続けた弁慶が、これで千本目という時に出会ったのが牛若丸であった。負けを認めた弁慶は、以降、牛若丸と主従の関係を結ぶこととなる。

№8 歌川広重 童戯武者尽 酒呑童子・武蔵坊弁慶 大判 嘉永7年(1854)8月

歴史上の武者を題材にした戯画の揃物の1点。下図は武蔵坊弁慶を題材にしている。弁慶が茣蓙を敷いて道具屋を営んでおり、源義経が客として訪れているようだ。弁慶が広げるのは大鎚、大鋸などの七つ道具や経机、数珠、薙刀など。上図は源頼光と渡辺綱の鬼退治のパロディで、両者が鬼退治の見世物の木戸番をしている。

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