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小倉柳村の絵の男性2人はどういう関係なの?という話

小倉柳村が明治13年(1880)に刊行した「湯嶋之景」。湯島神社の境内の石段の上から、男性2人が満月に照らされた町並みを見下ろしています。

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この作品をTwitterで紹介した際、みっきー738 @griffin738 さんより、丹尾安典氏の『男色の景色』で、この作品が取り上げられていることをご指摘いただきました。

また、永悦虎 @yoshitora_chan さんからは、2人に恋愛関係を見出せるというご意見をいただきました。

この2人の男性はいったいどのような関係にあるのでしょうか?これまでの研究で語られてきたことをご紹介しましょう。

小倉柳村の「湯嶋之景」自体は、古くから浮世絵の研究書や画集で紹介されていましたが、2人の男性の関係について踏み込んで言及したのは、1976年、料治熊太氏の『明治の版画』が初めてかと思われます。

柳村の版画には、その風景を援けるため、その土地を象徴する添景人物が出てくる。湯島の女、坂上のかげま茶屋の男娼であるとか、(略)
 ー料治熊太の『明治の版画』光芸出版、昭和51年(1976)。

「湯島の女」が何を指しているか不明ですが、「かげま茶屋の男娼」と、詳細は述べていないものの、「湯嶋之景」の男性を男娼とみなしています。

2002年、この料治熊太氏の著書を参考文献に挙げる石田久美子氏は、「湯嶋之景」の図版解説で以下のように述べています。

画面右の「御待合」の看板からわかるように、これは今日の連込宿である。当時境内の付近に「かげま(陰間、男色売)茶屋」があり、男色を売る少年がいたという。(中略)
この「湯嶋之景」でも「後向き」は描かれており、また画中の二人はお互いの方向を向いていなく、すこし「背中合わせ」である。この「背中合わせ」が「秘め事」を感じさせる。(後略)
 ー石田久美子「小倉柳村「湯嶋之景」、「日本橋夜景」について」『浮世絵芸術』144号、2002年。

湯島神社の境内付近に陰間茶屋があり、男色を売る少年がいたとはしていますが、柳村の絵の男性が男娼であるとまでは断定しておりません。ただし、背中合わせの姿勢を取る2人の男性に「秘め事」、おそらく恋愛関係があることを匂わせています。

なお、論文の全文は以下のリンク先をご参照ください。

この2人の関係について掘り下げたのが、冒頭で紹介した丹尾安典氏の『男色の景色』(新潮社、2008年。後に、KADOKAWA、2019年)です。

丹尾氏は、右側の黒衣の断髪を男倡(なんしょう)と断定しています。

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その理由として、湯島が陰間の名所であったことを述べています。詳細は丹尾氏のご著書をご覧いただければと思いますが、湯島の陰間茶屋は正徳年間(1711~16)末から始まり、天明年間(1781~89)に全盛を迎えました。京都あたりから買われた12~13歳の者が、18~19歳頃まで勤めたそうです。丹尾氏は、湯島という場所を考えれば、男倡とみる方が「当時のごくあたり前な通念にかなっていただろうと思う。」と判断しています。

しかしながら、丹尾氏自身が述べているように、幕末から明治にかけて、陰間茶屋はどんどんと衰退しています。

奢侈を抑制する天保の改革以後、全般にかげま茶屋はおとろえていった。しかし湯島においては、不忍池をはさんだむこう側に徳川家の庇護厚い寛永寺があり、その三十六坊を得意客としていた関係で、ついえずにすんだが、上野の戦争以後は上客も散じ衰微していった。(中略)
湯島を描いた井上安治の明治十年代後半の作は、柳村と同じく、月夜の男坂あたりの情景である。そのころには湯島もだんだんと芸者の方がふえてゆき、酔多道士によれば、明治十六年現在で「三十名内外」の芸妓がいたから(後略)
 ー丹尾安典『男色の景色』KADOKAWA、2019年。

上野戦争から10年以上も経った明治13年(1880)の時点において、湯島では陰間茶屋はほぼなくなっているという状態でした。柳村が影響を受けたと思われる小林清親は弘化4年(1847)生まれ。経歴がまったく不明の柳村が、清親よりも年下か年上かはっきりしませんが、おそらく柳村自身は湯島が陰間茶屋でにぎわっていたことは記憶にない世代でしょう。

そもそも、他の浮世絵と比較してみても、この断髪の男性の後ろ姿、あるいは2人の立ち位置だけで男娼と判断できる決定的な要素はどこにもありません。たとえ湯島=陰間茶屋という江戸の記憶を持っていた人が多くいたとしても、2人の男性に恋愛関係があると断定するのは難しいと筆者は考えています。

しかしながら、人を魅了する作品は、さまざまな想像をかきたたせることもまた事実です。私たちがこの浮世絵からさまざまな物語を紡ぎ出していくことも、鑑賞する時の楽しみの一つであると言えるでしょう。ぜひ、皆さんそれぞれで、この2人はどういう関係なのか自由に想像してみて下さい。

なお、小倉柳村とその作品については、以下の記事をご参照ください。

※短期間での調査のため、他の研究論文を見落としている可能性があります。2人の関係について掘り下げている論文をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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