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江戸時代のポケモン?のルーツを探ってみた

歌川芳虎が描いた「家内安全ヲ守 十二支之図」という浮世絵。おうちの安全を守るため、なんと十二支が合体したという作品です。たくさんの動物が一つになりましたので、さぞかしパワーアップしたのかと思いきや…

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前足と後足をそろえ、ちょこんと立っている可愛らしい姿に。顔がネズミのためか、頼もしさはまったく感じられません。はたして、おうちの安全をしっかりと守ってくれるのか…。とっても心配になります。

こちらの作品、以前、ツイッターで紹介したところ、かなりの反響がありました。ジャンボキングやタイラント、あるいはポケモンみたいとのコメントもいただきました。

今回は、この江戸時代のポケモン?(筆者はジャンボキングやタイラント世代ですが)のルーツを探ってみたいと思うのですが、その前に、まずは十二支がどのように合体しているのかを確認しておきましょう。

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辰と寅と亥の3つが分かりづらいですよね。辰は龍の体をまとっている炎、虎は背中の縞模様、亥は腰や太ももの毛並みです。

ちなみに、画面の上に書き添えられた賛は、「うきたつや 虎にをき稲 とり込みて もううまいぬる ひつじさるころ」。

「う(卯)きたつ(辰)や 虎(寅)にをき稲(亥子) とり(酉)込み(巳)て もう(丑)うま(午)いぬ(戌)る ひつじ(未)さる(申)ころ」。寅の刻(午前4時頃)に起きて稲を取り込んでいたら、もう正午は過ぎ去り、未か申の刻になってしまったという意味です。十二支の名前が織り込まれた狂歌になっています。

動物合体のルーツは鵺(ぬえ)にあり

このような動物の合体のルーツはどこにあるのでしょうか?日本の歴史上、最も有名なのは「鵺(ぬえ)」でしょう。『平家物語』などに登場する、顔は猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾は蛇(文献によって一部違いあり)という、動物の妖怪です。

浮世絵の中では、平安時代の武者である源頼政が、家来の猪早太とともに退治するという場面が頻繁に描かれています。こちらの歌川国芳「木曽街道六十九次之内 京都 鵺 大尾」(大英博物館蔵)が描いた鵺の姿が、最も分かりやすく描かれています。

恐ろしい妖怪の鵺ですが、時には、こちらの歌川広重の「童戯武者尽 源頼政」のように、猿回しの猿みたいな愉快なキャラクターとして描かれることもありました。

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江戸時代に生まれた合体動物

鵺以外にも、いくつかの動物が合体した不気味な化け物が、江戸時代の小説や浮世絵には登場します。こちらは曲亭馬琴著・葛飾北斎画の読本『椿説弓張月 続編』巻之六の一場面(国立国会図書館蔵)です。禍獣(わざわい)という、体は牛、頭は虎である動物です。人に降りかかる災いを、妖術によって実体化したもので、多くの人々を噛み殺しています。

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また、こちらは歌川国芳が描いた「欲といふ獣」。人間の欲望を獣に見立てた作品です。

欲といふ獣 (戯画・諷刺画)-1

欲といふ獣 (戯画・諷刺画)-2

獅子のような顔に、天狗のような羽根、手足は人間のようです。厳密に言えば、さまざまな動物が合体したものではありませんが、芳虎の師匠である歌川国芳が、このようないろいろな要素を合体させた不気味な動物を描いているのです。

「家内安全ヲ守 十二支之図」の元ネタ?

さて、「家内安全ヲ守 十二支之図」(以下「十二支之図」)に話を戻しましょう。この作品が刊行されたのは安政5年(1858)9月のこと。じつは、それよりも数年前の嘉永年間(1848~54)頃、遠浪斎重光という絵師が、「寿と云ふ獣」という「十二支之図」にそっくりの浮世絵を制作しています。

ボストン美術館に所蔵されていますので、まずはこちらの画像をご参照ください。

「十二支之図」と違うところとしては、前足が申、後足が戌に交代。辰、寅、亥が見分けやすくなっています。

また題名は「寿と云ふ獣」。先に紹介した国芳の「欲といふ獣」からヒントを得たのでしょう。この動物を祭る人は「悪事をまぬがれ幸を得つべし」と書いてあるように、ご利益があるようです。「十二支之図」の先行作品と言ってよく、歌川芳虎が遠浪斎重光の作品を参照した可能性は、十分に考えられます。

もう一つ、「十二支之図」の先行作品を考える上で、見逃せない情報が、絵の中にあります。それは、絵師のサインです。

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「額面画 芳虎写」と書いてあります。額面とは、お寺や神社に奉納される絵馬のこと。もともと「十二支之図」を描いた絵馬があり、それを芳虎が模写して、浮世絵版画にしたと推測されるのです。

江戸時代、浮世絵師が描いた巨大な絵馬を、寺社の中の絵馬堂に飾り、大勢の見物客が話題にするということがありました。また、絵馬を元ネタにした浮世絵版画も実際に制作されています。ですので、「十二支之図」のように、絵馬を参考にすること自体は珍しいものではありません。

しかし、残念なことに、「十二支之図」の典拠となるような絵馬を、筆者はまだ見つけられていません。もし、このような絵馬を見たことがある、聞いたことがあるという情報をお持ちの方は、是非お知らせください。

疫病退散への願い?

最後に、「十二支之図」は安政5年(1858)9月に刊行されました。この年の8月、江戸の町ではコレラが大流行し、30万人近い死者が出たといいます。「十二支之図」がコレラ退散を目的で制作されたのかどうかは、絵から得られる情報だけでは、はっきりとしません。

しかしながら、コレラは当時「虎狼狸(コロリ)」とも書かれ、動物の妖怪の仕業とも考えられていたようです。十二支という親しみのある動物たちが合体した「十二支之図」に、「虎狼狸」という悪い動物を退治して、おうちの安全を守ってほしいという願いを託そうとしていたのではないでしょうか。改めて、「十二支之図」を見てみましょう。

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ちょっと頼もしく見えてきましたね!

そして、なんと、この十二支がフェリシモミュージアム部さんの協力を得て、ぬいぐるみとなりました!詳しくは下の記事をご覧下さい。

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文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)




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