江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話
2020年8月18日、Twitterでこんなツイートをしたところ、太田記念美術館が2012年にTwitterを初めて以来、一番多い「いいね」の数(この記事の執筆時点で3万3127人)を獲得しました。
このツイートを書いたきっかけは、たまたま「マツコの知らない世界」(TBSテレビ)で「スイカの世界」を特集していた際(2020.8.18)、最近のスイカはカットした状態で販売されていることが多いという情報を知ったからです。
マツコ・デラックスさんとほぼ同年齢の筆者としては、カットスイカにまったく馴染みがなかったのですが、太田記念美術館で所蔵する浮世絵にカットスイカが描かれていたことを思い出しました。そこで、番組の放送直後にその画像をツイートしたところ、思いもよらぬ反響となりました。
その浮世絵の全体図はこちら。歌川国貞(三代歌川豊国)の「十二月ノ内 水無月 土用干」。安政元年(1854)の制作です。
この絵のメインは、実はスイカではなく、7月下旬から8月上旬の夏の土用に行なわれる、着物の虫干しの様子を題材にしています。
夏らしいものとして、庭には朝顔、縁側にはナデシコ、そして、座敷の上に磁器の大皿に載せられたカットスイカが置かれています。綺麗に四角にカットされ、楊枝が3本刺さって、食べやすそうです。
しかしながら、江戸時代のスイカが全て一口サイズにカットされていたかと言えば、決してそうではありません。
こちらは、歌川広重「東都名所高輪廿六夜待遊興之図」。二十六夜待ちという年中行事で、たくさんの屋台が並んでいます。
その内の一番右端ではスイカが売られています。
こちらのスイカは全て半月状にカットされ、行き交う人々がすぐに噛りつけるようになっています。
別のスイカを見てみましょう。こちらは歌川広景の「江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股」。屋形船にスイカを売ってまわる水菓子(果物)売りの舟が、ちょうど橋の下にいました。運悪く、橋の上から男性たちが飛び込んできて、スイカの上に腰をしたたかに打ち付けたという場面です。
盥の中のスイカは、やはり半月状にカットされていました。
他にも、太田記念美術館が所蔵していないため、画像はありませんが、歌川国芳の「五行之内 西瓜の水性」や「名酒揃」という団扇絵では、扇型のスイカを女性が食べています。
このように、江戸時代のスイカは、一口大のカットスイカが一般的というわけではなかったようです。やはり、半月状や扇型の切り方が手軽だったのでしょう。
最初にご紹介したカットスイカ。立派な着物や広い庭、高価な磁器の器がある裕福そうな家が舞台でしたので、スイカを上品に食べるという時には、一口大のカットスイカが好まれたのではないでしょうか。
江戸時代のスイカの切り方については、あくまでいくつかの浮世絵を眺めた上での印象にしか過ぎません。しっかりとした調査はまだしておりませんので、何か情報がありましたらご教示下さい。
最後におまけとして、歌川広重「名所江戸百景 高輪うしまち」をご紹介します。先ほど紹介した「東都名所高輪廿六夜待遊興之図」と同じ、江戸湾のそばに位置する高輪が舞台です。
牛車の後ろに、草鞋の紐をくわえる子犬がいますが、そのすぐそばにスイカの皮が2つ、捨てられています。ちょっとお行儀が悪いですが、スイカを食べた人が、そのまま捨てていったのでしょう。ここでもスイカは皮つきで食べられていたようです。
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文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)