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江戸にもダムがあった話

太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会ですが、その見どころをご紹介します。

今回はダムの話。ダムは現代の土木ファンの間でも人気のジャンルです。各地のダムには大勢の観光客が訪れ、ダムの形を模したダムカレーなども作られて盛り上がりを見せています。

意外にも、家康が江戸に入府して最初期に行った土木事業に、ダムの造成がありました。ダムが造られた理由は、江戸の町づくりにたずさわる人々の「飲み水」を確保するためでした。

現在では、ダムというと山奥などに造られる巨大な建造物を思い浮かべますよね。もともとダムとは、治水や貯水などのために、河川を横断して堰き止める構造物のこと。家康が造成した江戸初期の「牛ヶ淵」「千鳥ヶ淵」「溜池」などは、貯水を目的とした、まさにダムのような構造物だったようです。

※なお、現代の日本ではダム状の構造物について、堤が15メートル以上をダム、それ以下を堰と呼ぶそうです。江戸初期の「牛ヶ淵」「千鳥ヶ淵」「溜池」が現代の基準でのダムには当てはまらない可能性が高いですが、本稿では広義の意味で、ダムという呼称を使わせていただきます。

牛ヶ淵

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さてこちらは、牛ヶ淵を描いた広重「東都名所坂つくしの内 飯田町九段坂之図」。江戸城の内濠・外濠は、場所によって「桜田濠」「大手濠」などさまざまな呼称がありますが、その中で「淵」の字がつくのは、この「牛ヶ淵」と「千鳥ヶ淵」の二箇所だけ。「淵」とは、深く水をたたえた場所のことを指します。

牛ヶ淵は、麹町から続く台地の際にあたり、家康がこの付近の湧水をせき止めて飲料水用のダムを造ったと言われています。正面に見えるのは田安門の土手で、現代のダムに近い形状ですね。

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こちらが現在の様子。ほぼ江戸時代そのままです。

こちらが現在地。九段下駅を降りて、九段坂を少し上ったピンのあたりから、西を眺めています。

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こちらは二代広重が描いた「江戸名所四十八景 九段さか」(※展示には出品されません)。牛ヶ淵を坂の上の方から眺めています。かなりの高低差がありますね。「廿六夜まち之図」とあり、遠くでは花火が打ち上がっています。九段坂は、7月26日に行われた月見の行事「二十六夜待」の名所だったことがうかがえます。

溜池

035 4831葛飾北斎

こちらは、北斎が描いた「諸国瀧廻 東都葵ヶ岡の瀧」。流れ落ちる水流の向こう側に見えるのが、現在も溜池山王駅などに名が残る「溜池」。第一次天下普請のはじまった慶長11年(1606)頃、飲料水を確保するための上水ダムとして、また外濠の一環として、大名の浅野幸長が建設したと言われています。

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こちらは広重が描いた「東都名所づくし之内 葵阪之図」(※展示には出品されません)。この当たりは葵ヶ岡と呼ばれ、左の坂は葵坂と呼ばれました。溜池から流れ落ちる水流は、どうどうと音を立てて流れ落ちていたことから、「どんどん」と呼ばれたそうです。

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拡大してみると、形状は現代のダムそっくりですね。

現在の地図で見ると、ピンのあたりから溜池山王方面を眺めていることになります。

このあたりは近年、虎ノ門ヒルズの建設など、再開発が進む地域。現在、溜池は完全に埋め立てられており、当時の面影はありません。

文:渡邉 晃(太田記念美術館上席学芸員)

※美術館での「江戸の土木」展の展示は終了しましたが、現在でもオンライン展覧会アーカイブズとして、同じ作品、解説を有料(800円)でお楽しみいただけます。リンク先からご入場ください。

展覧会の見どころを、テーマごとに紹介しています。その他の記事はこちらから。

2020年10月16日のニコニコ美術館にて、江戸の土木展が生中継されました。後半にはアダチ版画研究所協力により、後半には浮世絵の摺の実演もあります。ぜひご視聴ください。


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太田記念美術館
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