葛飾北斎は現地を取材しているか、検証してみた
葛飾北斎が日本全国の滝を描いた「諸国瀧廻り」。かの「冨嶽三十六景」を制作した直後の天保4年(1833)、数え74歳の時に制作した、全8枚からなるシリーズです。
その中で最も人気のある作品が、こちらの「諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝」。
阿弥陀ヶ滝を正面から捉えた作品です。滝を一望できる崖の上に陣取った3人の男性たちが、滝見で一杯と洒落込んでいるようです。
滝が流れ出す滝口を真ん丸の形とし、その中に、本来ならば絶対に見えるはずのない落下前の水流を描いているという、かなり斬新な構図。現実の風景というより、ちょっと幻想的な夢の世界の雰囲気も漂っています。
さて、この絵の舞台となるのは、岐阜県郡上市白鳥町前谷にある、阿弥陀ヶ瀧。
本当にこんな滝の形をしているのか、気になりましたので、実際に現地を訪れてみました。
こちらが阿弥陀ヶ滝の実際の写真(2013年筆者撮影)。落差は約60メートルです。
崖から一直線に落下する滝の流れは大変に美しいのですが、北斎の作品と比べると、まず、実際の滝口が北斎の絵のように円形にはなっていません。江戸時代の滝が現在と同じ形をしているとは必ずしも限りませんが、かなり印象が異なります。
また、北斎の絵のように、滝を見渡して座れるような岩場も、近くに存在していないことも大きな違いです。
実際の阿弥陀ヶ瀧と北斎が描いた阿弥陀ヶ瀧は、かなり形が異なっています。
北斎は名古屋に滞在していことがありますので、木曽街道を歩いて移動していた可能性は考えられます。しかし、たとえ北斎が木曽街道を通っていたとしても、阿弥陀ヶ滝は木曽街道からかなり離れた距離にあるので、ここからわざわざ滝を見るためだけに訪れたというのは、可能性として低いのではないでしょうか。
つまり、北斎は現地に取材しないで、阿弥陀ヶ瀧を想像で描いている可能性が考えられます。
では、滝口を円形にするという奇抜な発想は、完全に北斎の想像力の産物と考えてもいいのでしょうか?
さまざまな滝を調査する中で、ちょっと興味深い滝がありました。栃木県日光市にある裏見の滝です(2013年筆者撮影)。
滝口が丸くえぐられており、正面から見ると、北斎の絵を髣髴とさせる形をしています。また、左手には小高い岩場があり、現在は滝を見渡す展望台となっています。これも北斎の絵で滝見をしていた男性たちの場所を思い起こさせるものです。
北斎は実際に日光を訪れたことがあると考えられています。そのため、裏見の滝を見ていた可能性も十分にあります。
しかしながら、江戸時代の裏見の滝が現在と全く同じ姿をしているかどうかはよく分かりません。そもそも筆者は、北斎の「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」が日光の裏見の滝をモデルにしていると言いたいわけでもありません(確証がありませんので)。
北斎は、実際に訪れていないであろう阿弥陀ヶ滝を描くにあたって、自分の想像だけで描くのではなく、これまで日本各地を旅行する中でストックしてきたさまざまな滝の形の情報を、アイデアとして生かした可能性が考えられます。
すなわち、「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」の独特な丸い形をした滝口も、北斎のイマジネーションだけから生まれたのではなく、実際の風景の観察もかなり役立っていたのではないでしょうか。
北斎がどのようにしてこのような滝の表現に辿り着いたのかを想像すると、より一層、作品を楽しむことができます。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)
参考文献:
拙著「葛飾北斎「諸国瀧廻り」をめぐって-「写生」と「奇想」-」『太田記念美術館紀要 浮世絵研究』第4号、平成26年(2014)。
テレビ番組「名画と歩こう~葛飾北斎・諸国瀧廻り~」(平成25年、BSフジ放送)