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【オンライン展覧会】闇と光ー清親・安治・柳村

太田記念美術館にて、2022年11月1日~12月18日開催の「闇と光ー清親・安治・柳村」のオンライン展覧会です。

note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくような感じでお楽しみいただけます。
オンライン展覧会の入館料は1800円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。いつでも、どこでも、お好きな時に「闇と光ー清親・安治・柳村」展をご鑑賞ください。

※後期展示作品の解説を11月26日にアップしました。

展示作品リストはこちら→http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/2022/11/yamitohikari-list.pdf

はじめに

今から約150年前の明治9年(1876)、小林清親(1847~1915)は、西洋からもたらされた油彩画や石版画、写真などの表現を、木版画である浮世絵に取り込むことによって、これまでにはない東京の風景を描きました。真っ暗な夜の街に輝くガス灯の光や、鮮やかな赤い色に染まった夕焼けの空など、光や影のうつろいを巧みに捉えた清親の「光線画」は大いに流行し、井上安治(1864~89)や小倉柳村(生没年不明)といった絵師たちも後に続きます。光線画の流行はわずか5年ほどという短い期間で去りますが、木版画の新しい可能性を切り開くものでした。近年注目される、大正から昭和の「新版画」の先駆けとも位置付けられるべきでしょう。
本展覧会では、小林清親を中心に、これまで紹介される機会の少なかった井上安治と小倉柳村が描いた光線画、約200点を展示します。木版画だからこそ味わい深い、闇の色、光の色をお楽しみください。

Ⅰ.小林清親(1847~1915)

小林清親は、下岡蓮杖から写真術を、ワーグマンから油彩画を習ったと伝わっています。明治9年(1876)より、東京近郊の風景を西洋画風のタッチで描いた「東京名所図」のシリーズを松木平吉から刊行。明治12年(1879)頃から福田熊次郎に版元が代わり、明治14年(1881)までの間に合計で93点を制作しました。光や影を情感豊かに捉えた独特の作風から光線画とも呼ばれ、大いに人気を博します。ちなみに、明治14年以降、清親は光線画から離れ、異なる画風を展開しました。

光線画
「光線画」は、明治になって西洋から大量に伝わった油彩画や水彩画、石版画、写真といった新しい表現を、日本の伝統的な木版画の技術で試みるものでした。従来の浮世絵では一般的な主版(輪郭線)を極力用いず、色の面で人物や自然を捉えています。また、光を丁寧に観察する意識が強く、時刻や天候による空や雲の変化を何種類もの色版やぼかしで表現したり、水面に反射する影や灯りを細い線を重ねることで繊細に描写したりしています。

№1 小林清親「隅田川夜」大判錦絵 明治14年(1881) 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※前期

隅田川東岸にある向島の土手から、対岸の待乳山と今戸橋を臨んでいます。ステッキを片手に帽子を被った男性と着物姿の女性は、真っ黒なシルエットで描かれているため、表情を読み取ることができませんが、静かに語り合っている声が聞こえてきそうです。対岸の建物から漏れる灯りが揺らめきながら水面に反射しているところに、清親の観察眼を見て取れます。

№2 小林清親「大川岸一之橋遠景」大判錦絵 明治13年(1880) 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※後期

雲間から姿をのぞかせた満月の明かりが、輪を描くように夜空を照らすだけでなく、川の水面にも反射しています。画面の手前には、女性を乗せて駆け抜けていく人力車がシルエットで表現されています。2人がかりで牽引していますので、おそらく急ぎの用事があるのでしょう。大川とは隅田川の下流のこと。隅田川の西岸から対岸に架かる一之橋を眺めていますが、一之橋はわずかに橋脚が見える程度で、その存在は気がつきづらいかもしれません。

№3 小林清親「柳原夜雨」大判錦絵 明治14年(1881) 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※前期

しとしとと雨が降る夜の柳原。柳原は、現在の東京都中央区、万世橋から浅草橋までの神田川南岸沿いの土手のことです。番傘を手にした人々が、提灯で足元を照らしながら、真っ暗な道を足早に歩いています。人力車の車夫は行き交う人々に声をかけますが、なかなか足を止めてくれず、寄ってくるのは腹を空かせた野良犬だけのようです。提灯の光が番傘を透かしたり、雨でぬかるんだ地面に反射したりと、光の細やかな動きを清親は見逃していません。

№4 小林清親「日本橋夜」大判錦絵 明治14年(1881)頃 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※後期

どんよりとした雲で空を覆われた、日本橋の夜の景色です。橋を渡る人々の姿は黒のシルエットとなり、夜の闇に輝くガス灯や提灯の光の存在がより一層際立っています。橋の向こうにもガス灯の明かりが見えることから、日本橋の北側から銀座方面を眺めているのでしょう。なお、日本橋は明治6年(1873)、平らな路面の西洋式の木橋に架け替えられました。この絵のように、中央は馬車や人力車のための車道、その左右は歩道となりました。

№5 小林清親「今戸橋茶亭の月夜」大判錦絵 明治10年(1877)頃 版元未詳 太田記念美術館蔵 ※前期

山谷堀に架かる今戸橋。その橋の向こう、隅田川の上空に輝く暈のかかった満月が、辺りを明るく照らしています。画面左の建物が有明楼ゆうめいろうという名だたる料亭で、入り口には客を送り迎えする人力車が止められています。水面に映る橋や建物の影、あるいは、月の光や料亭の窓の灯りは、短い横線を無数に重ねて表現されており、まるで水彩画のようです。右下に「彫刻英吉」と、彫師である井上英吉の署名がありますが、この細かな線を彫るのに、彫師にはかなりの技量が求められたのでしょう。

№6 小林清親「九段坂五月夜」大判錦絵 明治13年(1880) 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※後期

五月の夜、雨がしとしとと降り注いでいます。ぼかしによって表現された雨雲は、まるで下界を圧し潰すかのような圧迫感があります。道は雨ですっかりぬかるんでいるようで、夜道を歩く人々たちが持つ提灯の光が赤く反射しています。画面左にそびえているのは明治4年(1871)に九段坂上に設置された高燈籠(常燈明台)で、当時は東京の新名所の一つとなっていました。現在はやや離れたところに移築されています。

№7 小林清親「御茶水蛍」大判錦絵 明治12年(1879)頃 松木平吉 太田記念美術館蔵 ※前期

お茶の水付近を流れる神田川の景。画面中央に目を凝らすと、川をまたいで設置された神田上水掛樋のシルエットが見えます。現代ではもはや想像もつきませんが、明治時代にはここで蛍狩りをすることができました。蛍の光と船の明かりとを少し色味を変えて表現しているところに、清親の観察眼が光っています。

№8 小林清親「天王寺下衣川」大判錦絵 明治13年(1880)頃 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※後期

現在の台東区谷中、日暮里駅付近にある天王寺。その付近には蛍沢という蛍が集まる場所がありました。本図は天王寺の近くを流れる衣川の夜の景色を描いています。川のそばを飛び交う蛍の幻想的な光と、家の窓から漏れる家庭の温かな光が見事な対比をなしています。また、画面が暗くて見えづらいですが、画面の右側には、提灯を持って橋を渡っている人物のシルエットも見えます。

№9 小林清親「池の端花火」大判錦絵 明治14年(1881) 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※前期

上野の不忍池のほとりから眺める花火の景。見物客たちをまるで影絵のように全てシルエットにすることで、夜空に輝く花火の華やかさを強調しています。画面右に見える暗がりは不忍池の中央にある弁天島。対岸の灯りが水面に反射する様子を、赤や黄色の短い縦の線で表現しています。

№10 小林清親「両国花火之図」大判錦絵 明治13年(1880)頃 福田熊次郎 太田記念美術館蔵 ※後期

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