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北斎がお菓子の袋を作っていたという話

浮世絵師が絵を描くのは、版画や掛軸だけではありません。たとえば葛飾北斎であれば、祭屋台の天井に波の絵や、幟(のぼり)に鍾馗(しょうき)の絵、さらには、提灯に龍の絵も描いています。

その中でも特に珍しいのが、こちらの作品。「江戸八景 両国暮雪」とあるように、両国橋の雪景色を描いています。天保4年(1833)頃、北斎が「冨嶽三十六景」を発表していた、70代前半の作品と推測されています。

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この絵だけ見てますと、周囲の枠線が、紐がねじれたような変わった形をしてはいるものの、一般的な風景画と比べて、特に変わったところはないようです。

では、この絵の全体を見てみるとどうでしょうか。

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実は、先ほどの絵の部分、縦長の長方形の紙の、下半分しか占めていません。いったいこれは何なのでしょう?

ヒントは絵の上にある文字。

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右から左へ読むと「極製御菓子」とあります。実は、この作品、お菓子袋だったのです。縦長の袋の下の方に、北斎の風景画が描かれていたのです。

しかもこの作品が貴重なところは、現在でもちゃんと袋の形を保っているところ。口を広げて中を覗いてみると、ご覧の通り。ちゃんと袋状になっているのが、お分かりでしょうか?

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ちなみに、こちらは裏側。特に何も書いてありません。

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袋の上の方を見ると、小さな穴が開いています。口のところを折り曲げ、紐で閉じて封をしていた跡で、実際に菓子袋として使われたと推測されます。

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実はこのようなお菓子の袋、北斎だけがたまたま作ったというものではありません。浅野秀剛氏の研究によれば、葛飾北斎以外にも、歌川広重や歌川国芳、歌川国貞(三代豊国)など、名だたる浮世絵師たちの菓子袋の存在が確認されています。

前回のnoteの記事で、浮世絵が輸出用陶磁器の包み紙には使われていなかったというお話をしましたが、一方で浮世絵は、お菓子の包み紙としては使われていました。本物の浮世絵版画、しかも北斎の風景画が、なんとお菓子の袋に!江戸時代の庶民たちにとって、浮世絵がいかに身近な存在であったかが分かります。

参考文献:
・浅野秀剛「菓子袋・菓子箱と商標」『和菓子』第19号、虎屋文庫、2012年。
・松田美沙子「山梨県立博物館所蔵の菓子袋に関する一考察」『山梨県立博物館研究紀要』第12集、山梨県立博物館、2018年。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)


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