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はみ出す富士山ー広重と北斎

東海道に53ある宿場町の中で、富士山の巨大な姿を堪能することができた場所が、原宿です。現在の静岡県沼津市原に位置します。

歌川広重は、「五十三次名所図会 十四 原 あし鷹山不二眺望」を描く際、富士山の巨大さを強調させるテクニックを用いています。

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富士山の山頂を、作品の枠線からはみ出させることによって、富士山の高さをより印象強くしているのです。

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実は、広重は東海道の原宿を描く際、このテクニックを多用しています。一番初めに描いた東海道シリーズである、保永堂版東海道「東海道五拾参三次之内 原 朝之富士」でも、

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ご覧のように、富士山が枠をはみ出しています。

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行書東海道「東海道五十三次之内 原 柏原立場ふじの沼」でも、

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狂歌入東海道「東海道五拾三次 原」でも、

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蔦吉版東海道「東海道 十四 五十三次之内 原」でも、ご覧の通り。

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「不二三十六景 駿河冨士沼」という、日本各地から見える富士山を描いたシリーズ物でも、富士山は枠からはみ出しています。

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高くそびえる富士山と言えば、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 凱風快晴」を思い浮かべる方人も多いかもしれません。しかし、北斎の富士山は枠からはみ出していません。

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なぜなら、「冨嶽三十六景」にはそもそも枠線がないからです。

ここで、北斎が「冨嶽三十六景」を手掛けたすぐ後に刊行した『富嶽百景』という絵本を見てみましょう。こちらは『富嶽百景』初編より「孝霊五年不二峯出現」。

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孝霊5年(紀元前286年)、一晩で琵琶湖が出来、その土が富士山となったという伝説を描いています。突然現れた富士山に驚く人々。富士山の山頂は、枠をはみ出しています。

こちらは『富嶽百景』二編「武辺の不二」。

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富士の裾野で、仁田四郎忠常がイノシシを退治する場面です。ここでも富士山は枠をはみ出しています。このように北斎の『富嶽百景』には、2点だけ、はみ出している富士山の絵があります。

広重の保永堂版東海道が天保4年(1833)頃に刊行されたのに対し、北斎の『富嶽百景』初編は天保5年(1834)。広重の方が、ちょっとだけですが、早いのです。北斎は広重のアイデアを盗んだのでしょうか?

北斎が、話題となっていた広重の保永堂版東海道を見ていた可能性は十分に考えられます。しかし、枠をはみ出すことで、対象物の大きさを表現するというテクニックは、北斎の方が、広重よりもずっと早い時期に実践していました。

こちらは北斎の狂歌絵本、『東遊』より「芝神明宮春景」です(国立国会図書館蔵)。寛政11年(1799)、広重の保永堂版東海道より30年以上早い制作です。

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芝神明宮の背後にある愛宕山の山頂が、枠をはみ出しています。

そして、こちらは北斎の読本挿絵。曲亭馬琴の『椿節弓張月』前編巻之三の挿絵(国立国会図書館蔵)です。

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主人公である鎮西八郎為朝が旧虬山がという山を登ろうとしている場面。険しい山頂が、枠をはみ出しています。この読本の刊行は、文化4年(1807)。広重の保永堂版東海道より、25年近い前の作品です。

狂歌絵本や読本挿絵といった版本のジャンルを切り開いた北斎。枠線をはみ出すことで、風景や物語の一場面をより効果的に見せるという演出は他にもさまざま試みています。

広重が富士山を描くにあたって、北斎の狂歌絵本や読本挿絵を参考にしたかは定かではありません。広重オリジナルのアイデアであった可能性も考えられるでしょう。

いずれにしろ枠をはみ出すというのは、浮世絵に限らず、他の日本美術の中でもしばしば見られる興味深い表現です。浮世絵をご覧になる時、枠をはみ出している物を見かけたら、じっくりと観察してみてください。絵師の工夫が隠れているはずです。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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