空摺はどのように制作するのか、現代の職人さんに聞いてみた
浮世絵版画で用いられる空摺(からずり)というテクニック。エンボス加工と言った方が通じやすいかもしれませんが、ここ何回かTwitterで紹介したところ、大変な人気でした。まずは、こちらをご覧ください。
明治の浮世絵師・月岡芳年の「大日本名将鑑 平惟茂」です。
平維茂(たいらのこれもち)に襲いかかる戸隠山の鬼。人間に化けていた時に頭に被っていた、白色の被衣(かずき)にご注目。こちらの写真は、画面全体に均等に照明が当たるよう、プロのカメラマンにきちんとセッティングして撮影してもらったものです。白い被衣にピンク色で陰影がつけられていることが分かりますが、特に模様らしきものは見当たりませんよね。
そこで、自分のスマホを使って、一方向からの光だけで撮影してみました。その写真がこちらです。被衣に菱形の模様が浮かび上がっているのが分かります。
空摺とは、和紙に凹凸の模様を施す技法のことをいいます。実際に浮世絵を自分の手で取った時、光の加減によって、模様が浮かび上がったり、消えたりするのです。
比べてみると一目瞭然。左が空摺が見える方、右が見えない方です。
もともと浮世絵は、実際に手に取って、至近距離で鑑賞するものでした。だからこそ、手に取った時に立体感を味わえる空摺のような仕掛けは、持ち主ならではの楽しみだったといえるでしょう。
空摺の制作技法
それでは、この空摺は、どのように制作するのでしょうか?
浮世絵版画の技法を現代に継承し、浮世絵の復刻版を数多く制作しているアダチ版画研究所さんに、空摺の方法を聞いてみました。
見本となるのが、こちらの鈴木春信「雪中相合傘」です(以下の画像はアダチ版画研究所さんのご提供です)。黒い着物の男性と、白い着物の女性が、一本の傘をさしながら、仲睦まじそうに雪の中をしずしずと歩いています。
右側の女性が着ている、真っ白な振袖にご注目ください。
何も模様が見えませんね。
そこで、こちらも照明の角度を変えて写真を撮ってみたところ、菱形模様の空摺が浮かび上がってきました。
この菱形の空摺をどのように制作するのかといえば、答えはシンプル。版木に模様を彫り、その上に和紙を載せて、裏からバレンで強く摺ります。普通は版木の上に絵具をのせて色を摺るのですが、空摺の場合にポイントとなるのは、絵具を使用しないことです。
この版木は実際に使用しているものですが、絵具を使っていないことが分かります。
注目してもらいたいのは、その模様の細かさ。菱形の模様を一つ一つ丁寧に彫っています。光の当たり具合によっては、全く誰にも気が付かれない空摺。しかし、そのようなところにもこれだけの緻密な彫りの技を使うというのが、職人たちのこだわりです。
さらにもう一つの注目ポイントがあります。上の版木を見て、気が付いた人もいるのではないでしょうか。
空摺が施されているのは、女性の白い着物の部分だけではありません。実は隣にいる男性の黒い着物にも、細い網目のような模様が彫られているのです。
この写真にうっすらと写っているのですが、黒色の部分の空摺を綺麗に撮影するのはちょっと難しく、あまりはっきりとは見えませんね。やはり、実際にこの復刻版を手にとってご覧いただかないと、空摺の魅力は十分に伝えられないようです。
ちなみに、アダチ版画研究所さんでは、空摺の技法を用いた浮世絵の復刻版を他にも制作しています。浮世絵のどのようなところに空摺が使われているのかを知りたい方は、参考にしてみてください。
また、アダチ版画さんのスタッフブログの中では、鈴木春信「雪中相合傘」の空摺、さらに雪を表現する「きめ出し」についても紹介しています。
以上、空摺の制作の仕方についてご紹介しました。冒頭に紹介した「大日本名将鑑 平惟茂」のほかにも、太田記念美術館のTwitterではこれまで空摺の魅力を紹介していますので、あわせてご覧ください。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)