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御茶ノ水は人工の渓谷だった

太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催しました。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会でしたが、その見どころをご紹介します。

今回は江戸時代に、人の手で造られた渓谷の話。御茶ノ水駅から秋葉原駅まで、神田川沿いを下ると、都心とは思えない谷状の地形が続いています。実は飯田橋付近から秋葉原付近までの神田川は、仙台濠とも呼ばれ、仙台伊達藩による大規模な土木工事で生み出された、人工の渓谷なのです。

神田山を分断する大土木工事

このあたりにはもともと神田山という台地がありました。現在の本郷台地ですね。その神田山から隅田川へ向かって、神田川の原型となる流れが注いでいたのですが、そこに平川、小石川、石神井川3つの河川をまとめて接続し、隅田川へ放水するという、大規模な河川の架替えが計画されました。

その際に行われたのが、神田山を真っ二つに分断して掘削するという大工事。元和6年(1620)、秀忠の命を受け、伊達政宗が工事を担当して仙台濠の原型が作られ、万治3年(1660)には仙台藩四代藩主である伊達綱村が拡幅工事を担当しています。

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現代の地形図を見ると、この工事のすごさがよく分かります。黄色くなっているのが、もともと神田山があった台地。その台地をまさに分断して神田川が流れているのです。

(出典)国土地理院デジタル標高地形図「東京中心部」より。※筆者が御茶ノ水付近をトリミングしています。

https://www.gsi.go.jp/kankyochiri/degitalelevationmap_kanto.html

聖橋上から秋葉原方面を眺めると、かなりの高低差に富んだ谷状の地形となっていますよね。工作機械のない時代、この高低差を掘り下げるには、想像を絶する苦労があったに違いありません。

googleストリートビューで神田川の御茶ノ水付近から水道橋方面を見た画像がこちら。

浮世絵に描かれた御茶ノ水

029 5308昇亭北寿

浮世絵で当時の御茶ノ水を眺めてみましょう。昇亭北寿「東都 御茶ノ水風景」。先程のストリートビューより少し下流側から、水道橋方面を描いています。右手に見えるのは昌平坂で、多くの人々が行き交っています。荒々しく描かれた崖の描写が印象に残ります。

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広重も御茶ノ水の渓谷を描いてます。「名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川」(※「江戸の土木」展には出品されません)。北寿の作品よりも崖の描写が穏やかな感じですね。もしかすると、この絵の方が実景に近いのかも知れません。右手の崖の上に白壁がつづいていますが、こちらは湯島聖堂。

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こちらは国芳が描いた御茶ノ水で、「東都富士見三十六景 昌平坂の遠景」。絵師が違うと、まただいぶ雰囲気が違います。

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さて、先程の北寿の作品で、崖と崖の間に、建物のようなものが描かれていました。これは、神田上水で運ばれてきた飲料水を、江戸市中へと運ぶ掛樋(水道管)。本郷方面から神田方面に水を通すためには、御茶ノ水の崖を経由する必要があり、このような掛樋が作られました。

奥に小さく橋が見えていますが、こちらが水道橋で、その名前は近くに掛樋があったことに由来すると言われています。

文:渡邉 晃(太田記念美術館上席学芸員)

※美術館での「江戸の土木」展の展示は終了しましたが、現在でもオンライン展覧会アーカイブズとして、同じ作品、解説を有料(800円)でお楽しみいただけます。リンク先からご入場ください。

同展覧会の見どころを、テーマごとに紹介しています。過去の記事はこちらからどうぞ。

2020年10月16日のニコニコ美術館にて、江戸の土木展が生中継されました。後半にはアダチ版画研究所協力により、後半には浮世絵の摺の実演もあります。ぜひご視聴ください。



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太田記念美術館
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