虎子石さんぽ 大磯をぶらぶら
東海道の宿場である大磯。「曽我物語」で有名な曽我十郎の恋人である大磯の虎(虎御前)や、彼女が大事にしていた虎子石にもゆかりの深い町でもあります。虎子石について詳しくはこちらの記事をどうぞ。
昨年、フェリシモさんよりぬいぐるみも発売されています。
さて、虎子石のぬいぐるみが先日、自らのルーツである大磯の町をぶらぶらとお散歩してきたようですので、その様子をお伝えします。
美術館のある原宿から品川で乗り換えて東海道線にのり、大磯の駅に降りたようです。こじんまりとして雰囲気のある駅舎ですね。
路地をとことこ行くと、古い洋館があったり。。
古いお寺もいくつかあります。そして虎子石がなんとなく引き寄せられていったのはもちろん。。
延台寺です。虎御前ゆかりの石である虎御石が、境内の法虎庵という建物に祀られています。虎御石は山下長者が虎の誕生を祈って授かった石と言われ、虎とともに大きくなったそうです。
その後曽我の仇討ちの際に、恋人の十郎を失って尼となった虎が、現在の延台寺より海側に法虎庵という庵を開き、虎御石と一緒に暮らしていたそうです。虎と虎御石は幼なじみでもあり、一心同体のような関係だったのですね。
北斎の絵に描かれた江戸時代の虎子石。延台寺の境内でしょうか。
ちょうど桜の時期でしたので、虎子石が満開の桜を楽しんでいたようです。
境内を進むと法虎庵という建物が。。この中に虎御石が祀られているそうです。普段は中には入れないため、今回はご先祖さま?に会えなかったようですが、5月に開催される虎御石まつりで公開されるとのこと。そのころにまたぶらぶらするかもしれません。。
さて、延台寺をあとに。旧東海道にそって東の方(江戸方面)にとことこ行くと・・。松並木がありました。このあたりに、大磯宿の東側(江戸方)の区切りである江戸見附があったそうです。
こちらは広重が描いた大磯宿の見附付近から宿場町を描いた図。江戸時代の街道の道幅や、松並木の面影が今でもよく残っていることがわかります。
ちなみに図の題名にある「虎ヶ雨」とは、虎御前の恋人の曽我十郎が5月28日の仇討ちで命をおとしたことから、5月28日に降る雨を虎御前の流した涙と重ねて「虎ヶ雨」と呼ぶようになったそうです。
こちらは国貞が広重風の背景に人物を描いた東海道の揃物の一点。虎ヶ雨とともに、どこか寂しそうな表情の虎御前が描かれています。
さらに旧東海道をもう少し西に進むと、なにやら説明板が。
これは、、!
また虎御前の名前に出会えました。ここは虎御前がお化粧をするために使った井戸とのこと。。
さて、このあたりで来た道を折り返し、街道を西の方にいきたくなったようです。途中大磯港で少しぶらぶら。海をみてなごみます。
さらに東海道を西へとことこ・・。街道沿いになにやら素敵な雰囲気の建物が現れました。西行法師で有名な鴫立庵です。
広重の作品を見ると、建物の雰囲気は当時と変わらず。江戸時代には大磯の海が見渡せたようです。
境内をぶらぶらしていると、あれ・・?またもや虎御前の碑が。。ここでも虎御前の名前に出会うとは思っていなかったのでびっくり。
そして延台寺の法虎庵に続いて「法虎堂」なる建物が。中には虎御前の木像が安置されています。初代庵主の大淀三千風の時代に、堂と木像が江戸吉原から寄進されたのだそうです。
虎御前との再会の感動がさめやらぬうちに、鴫立庵をあとに。東海道沿いを西に進みます。ところどころに古い家屋も残り、街道の雰囲気を偲ばせてくれます。
しばらく行くと、今度は大磯宿の上方側の区切りである上方見附がありました。
道路脇に石垣がのこっています。
宿場を出て少し行くとまたよく残った松並木が。虎子石もなつかしいものにたくさん触れて大満足のお散歩になったようです。
最後に、今回虎子石が興味をしめした場所を中心に、地図にまとめました。赤いラインは旧東海道の道筋です。みなさんもぜひ、虎子石といっしょにお散歩にでかけてみてくださいね。
文:太田記念美術館 虎子石係 渡邉晃