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「江戸の土木」展のこだわりや裏話を、担当学芸員に聞いてみた。

2020年10月10日~11月8日に開催された「江戸の土木」展。展覧会のこだわりや裏話を、担当である渡邉晃・上席学芸員に、インタビューしてみました。

街歩きとダムブームがアイデアの種に

ーー「江戸の土木」展は、橋や水路、街づくりなど、江戸の土木事業にスポットを当てた展覧会になっています。太田記念美術館でもこれまでになかった切り口ですが、どのようにしてこの企画を思い付かれたのでしょうか?

渡邉:2011年から、アートテラー・とに~さんと、「そうだ江戸、行こう。」という、浮世絵を持って街歩きをするツアーを、個人的に開催しているんですね。浅草編、銀座編、外濠編など、毎回テーマを決めて、各エリアの代表的なスポットを、浮世絵と比較しながらぶらぶらするという内容です。年に3~5回くらい、通算で恐らく40回はやったんではないでしょうか。

ーーTV番組の「ブラタモリ」みたいな企画ですね。しかも10年近く、40回も!その経験が、土木展を思いつくきっかけになったのですか?

渡邉:街歩きをする中で、自分もますます江戸の地理に興味を持つようになりました。そこで美術館でも、江戸地理系の展覧会をやってみたいと思うようになったのです。最近ですと、2017年には、江戸の水辺の風景を集めた「大江戸クルージング」展、2019年には、江戸の町の高低差をテーマにした「江戸の凸凹」展を開催しました。

ーーそれらに続く江戸地理系の展覧会として「江戸の土木」展があると。ただ、それだけでは「土木」というアイデアにまでたどりつかないのではないでしょうか?他にも、何かアイデアのきっかけがあったのですか?

渡邉:実は、個人的に最近のダムブームが気になってまして。ダムそのものはもちろんですが、「ダム女」とか「ダムカレー」とか、さまざまに展開していくのが面白くて。中でもすごく印象に残っているのが、2018年に日清食品が出した「日清焼そばU.F.O.ダム湯切りプレート」という商品です。ダムマイスターの方が選んだ、実在のダムの写真のプレートを容器にかぶせて、湯切りをすると、ダムの放流気分を味わえるという商品なんですが、ものすごくマニアックな趣味がコンビニにならぶ商品として成り立つのがすごいなと思って。

ーー確かに、ダムはいろいろなメディアで話題になっていましたね。

渡邉:で、ダムと浮世絵も組み合わせられるのでは?と思ったんです(笑)

ーーダムと浮世絵とは、また突拍子もない組み合わせですが、実は案外そうでもないんですよね。

渡邉:そうなんです!詳しくは、こちらの過去記事をご覧ください。

ーーなるほど。それでは、街歩きというご自身の体験と、ダムブームという巷での流行を掛け合わせることで、「江戸の土木」というアイデアが生まれてきたんですね。

埋立地にグッとくる

ーー「江戸の土木」展の具体的な内容については、これまでnoteでも記事を書かれていますし、和樂webさんやカーサ ブルータスさんの記事でも取り上げられています。

ーー詳しい展示の内容はこれらの記事をご覧いただくとして、今回の展覧会の中で、一番こだわっている「土木」を教えてください。

渡邉:一番の推しは「埋立地」です!実は、江戸のかなりの部分が埋立地として造成されたのですが、街歩きのツアーで深川を歩いていた時に、それを体で感じたんですね。

ーー埋立地を体で感じるって、どういうことなのでしょうか?

渡邉:深川には、ゆるい上り坂がつづいている道があって、そのピークを過ぎると、今度はちょっとゆるい下り坂になるような場所がよくあるんですね。そこを古地図で確認してみると、そこにはもともと橋があったり、水路が通っていたりするようなケースが多いんです。また、妙に細長い公園は、水路の跡だったりとか。

江戸時代の深川周辺の地図「本所深川絵図」(国立国会図書館蔵、部分)をご覧ください。いたるところに水路が張り巡らされているんですよね。

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ーー現代ですと、こんなに水路はないですよね。

渡邉:江戸初期にはほとんど浅瀬や湿地帯だったんですけど、水運のために多くの水路が作られました。今では多くが埋め立てられてしましたが、そういった場所を歩くと、ここは埋め立てられた場所だなと直感で気が付くようになりました!

ーー本当ですか?まさしく「ブラタモリ」のような感覚ですね。

渡邉:ぜひ、展覧会をご覧に来る皆さまに「埋立地」というジャンルの面白さを知ってもらいたくて!

ーーなるほど。では、埋立地のことが分かる展示作品として、どのようなものがあるのでしょう?

渡邉:一押しの作品は、深川を描いたこちらです。

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ーー歌川広重の「名所江戸百景 深川十万坪」ですね。空を飛んでいる大鷲が眼下の雪景色を眺めるという、大胆な構図の作品です。太田記念美術館でも、これまで何度も展示している非常に有名な作品ですが、「埋立地」とどのような関係があるんですか?

渡邉:この作品は、深川にあった十万坪という場所を描いています。ここは、もともと浅瀬や湿地帯だった場所を大規模に埋め立てた土地だったんです。この頃は、新田として利用されていました。雪に覆われていますが、この遠景まで広がる荒涼とした感じが好きなんです。江戸の埋立地のイメージが感じられませんか?

ーー現代の深川を街歩きする時、この浮世絵を思い出すと、一味違った感覚が楽しめますね。

橋コレクターだからこそのアドバイス

ーー今回の展示では、太田記念美術館の所蔵品だけでなく、何人かの個人コレクターからも作品をお借りしていますね。

渡邉:特に、橋のコレクターである、紅林章央さんという方に、すごくお世話になりました。

ーー橋のコレクターという方がいらっしゃるんですか?

渡邉:紅林さんは、かつて東京都建設局橋梁構造専門課長を務められた方で、多摩大橋などの多くの橋や、ゆりかもめなどの建設に関わった、土木のプロフェッショナルなんです。『橋を透して見た風景』(都政新報社、2016年)で土木学会賞も受賞されています。さらに、橋の浮世絵のコレクターでもあって、他にも古写真や絵葉書など、橋に関わる資料を多数お持ちなんです。

ーー展示の内容についても、いろいろアドバイスを受けたとか?

渡邉:私も今回の展覧会を準備する際、いろいろと江戸や明治の橋について調べたんですが、それだけでは絶対に気づかないポイントをいくつも教えてもらったんです。

ーーそれはどんなポイントだったのでしょう?

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渡邉:こちらは紅林さんもお気に入りの一点である、三代歌川広重の「古今東京名所 常盤橋内印刷局」。明治時代の常盤橋を描いています。普通に見ていると、石造アーチ橋が描かれているなあとしか思わないですよね。

ーーそうですね。せいぜい形が綺麗だなあという感想くらいしか。

渡邉:でも、よく見てください。橋桁の根本に、何やら突起のようなものが描かれています。

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ーー言われてみて初めて気が付きましたが、確かにちょっと突起のようなものがくっついていますね。

渡邉:実はこれ、「水切り」と言うもので、上流からの水の流れをスムースにするものなのだそうです。三代広重は、当時の橋の構造をしっかりと観察して描写しているんです。

ーー普通だったら、ここがこういう形をしていることに気が付かないですよね。さすが橋の専門家ならではの視点です。

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渡邉:こちらは、三代歌川広重の「東京第一名所 永代橋之真景」です。明治8年(1875)に、洋式の木橋に架け替えられた永代橋を描いています。橋の手前を見てください。橋桁の前に海から突き出た構造物がありますよね。

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ーーこれは、架け替え作業で取り壊された古い橋なのですか?

渡邉:紅林さんに伺ったところ、これは防舷材というのだそうです。増水時などに、橋の上流から流れてきた木材などが、橋桁に衝突するのを食い止めるものだそうです。

ーーなるほど。橋の絵一つとってみても、いろいろな情報が隠されているのですね。

充実の展覧会リーフレット

ーー今回の「江戸の土木」展では、展覧会リーフレットを制作されています。太田記念美術館では、予算と人手の関係上、すべての展覧会の図録を作ることが難しいです。特に、期間が1か月しかない展示ですと、採算が合わないので、まず作れないですよね。

渡邉:はい。ただこの展覧会は、もともと6月に開催する予定だったのですが、コロナの関係で、10月に延期になりました。そのため、準備期間を通常より長めにとれたので、間に合わせることができました。たとえコロナ禍という大変な時期にあっても、展覧会をできるだけ良いものにしたくて。

ーー展示作品70点がすべてカラーで掲載されているだけでなく、解説も充実していますね。

渡邉:そうですね、36頁という薄めのリーフレットではありますが、展覧会場に掲示する解説を簡潔にまとめています。

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ーー税込1,000円と、お買い得のお値段になっています。売れ行きの如何が、今後このようなリーフレットを作っていくかどうかの試金石になりますので、ぜひ、ご来館の際にはお手にとってご覧ください。(※リーフレットは完売いたしました。)

オンライン・イベントにも初挑戦

ーー現在、新型コロナの感染防止のため、好評だったスライド・トークも開催できない状況です。

渡邉:先ほどお話した紅林さんとのトーク・イベントも計画していたのですが、それも流れてしまいました。

ーーその代わり、オンライン・イベントという、今まで太田記念美術館ではやったことのない新しい試みに挑戦されるとか。

渡邉:10/16(金)夜7時から、ニコニコ美術館で展覧会が生中継されます。ライターの橋本麻里さんと一緒に展覧会をご案内する予定です。

ーー太田記念美術館で生中継の放送を行なうということ自体、初めてですね。

渡邉:はい、美術館内で録画番組の撮影をすることはあるのですが、生中継というのは初めてなので、とても楽しみです。浮世絵に描かれた橋の細部を見るのも楽しいポイントなので、クローズアップなどもしてもらいながら、作品の魅力を伝えていければと思います。

ーーニコニコ美術館では、展覧会の紹介だけではなく、浮世絵版画を実際に制作する様子も生中継するとか?

渡邉:アダチ版画研究所さんにご協力いただいて、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の摺りを実演してもらいます。浮世絵の摺りの工程がよく分かる、貴重な機会です。オンライン配信の方が、通常の実演より、摺師さんの手元がじっくり見えるのではないでしょうか。

ーー他にも、オンライン・イベントがあるそうですね。

渡邉:太田記念美術館の主催ではありませんが、10月28日(水)夜、渋谷にある東京カルチャーカルチャーというところでオンライントークイベントを予定しています。東京スリバチ学会の皆川典久さん、地図研究家の今尾恵介さん、『地図中心』編集長、境界協会主宰の小林政能さん、そして先ほど紹介しました紅林章央さんと一緒に、「江戸の土木」出品の浮世絵をネタに、各専門家が得意分野を熱く語るという豪華なトークイベントです。

ーー太田記念美術館にとっては新しい試みですので、ぜひ多くの皆様にご参加いただきたいですね。

渡邉:ぜひ、ご視聴ください。

ーーちなみに、今年の6月に刊行された、雑誌『東京人』427号では「浮世絵で歩く 橋と土木」特集が組まれていました。

渡邉:実は、この『東京人』、「江戸の土木」展とコラボしていて、開催と同時に売り出す予定だったんですよ。ところが、新型コロナウイルスの関係で展覧会の開催が延期になったので、先に売り出されることに…。ちょっと残念な出来事でした(※『東京人』の427号バックナンバーは、展覧会場で販売中)。

ーーでは最後に、今回の展覧会を見に行くかどうか迷っている皆さんに、一言お願いします。

渡邉:今回の展覧会は実は、広重と北斎の名品がたっぷり見られる展覧会でもあります。広重の作品が34点、そのうち「名所江戸百景」が19点。葛飾北斎の作品が8点で、そのうち「冨嶽三十六景」から5点。展示の約70点中42点が、2人の作品です。名品をたっぷり見ながら、江戸の土木についても詳しくなるという、ぜいたくな、一粒で二度美味しい展示になってます。浮世絵好きの方も、土木好きの方も、ぜひ見に来てください。

美術館での「江戸の土木」展の展示は終了しましたが、現在でもオンライン展覧会アーカイブズとして、同じ作品、解説を有料(800円)でお楽しみいただけます。リンク先からご入場ください。

「江戸の土木」展に関するこれまでのnoteの記事はこちら。


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