光の色を描き分けるー歌川広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」
歌川広重が晩年、亡くなるまでの約2年半の間に自らの集大成として精力を傾けたのが「名所江戸百景」である。江戸の名所を切り取った風景画のシリーズで、広重が手掛けた点数は118点にのぼる。
有名作を多く含むが、秋の夜長にじっくり眺めたい名作としては、月の光を見事に描写した「猿わか町よるの景」を選びたい。
場所は猿若町。今の東京都台東区浅草6丁目、浅草寺の北東である。森田座、市村座、中村座という、江戸っ子たちに大人気の娯楽であった歌舞伎を上演する芝居小屋が、一ヶ所に集められた繁華街であった。
時刻は日がとっぷりと暮れた夜。空には奇麗な満月が輝く。
芝居が終わって、人々は帰路につこうとするところだ。歌舞伎という夢の世界から現実へと引き戻されたようで、人で混雑する割には、どこか落ち着いた雰囲気が漂う。
ここで注目したいのは、往来を歩く人々の姿。月明かりで照らされた足元の影が、おそらく、まず目に入ることだろう。
だが、見逃してならないのは、着物の色。建物の中の人工的な照明に照らされた人々の衣服は青いが、
夜道の人々の衣服は、黒や灰色という、地味なモノトーンとなっている。
昼の時間であれば、きらびやかな衣装が往来を彩っていたことだろう。しかし広重は、人々から色彩を奪い、淡い藍色の夜空と対比させることによって、暗い夜の町を照らし出す、満月のほのかな輝きを表現しようとした。
自然の美を観察し続けた広重だから捉えることのできた、繊細な月明かりである。
※この作品は、2020年10月10日(土)~11月8日(日)開催の「江戸の土木」展に出品しています。展示は終了しましたが、現在でもオンライン展覧会アーカイブズとして、同じ作品、解説を有料(800円)でお楽しみいただけます。リンク先からご入場ください。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)
初出:『毎日新聞』2020年10月19日(月)夕刊 「アートの扉:発見!お宝 太田記念美術館2」「歌川広重 名所江戸百景 猿わか町よるの景 暗い町並み照らす満月」