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【オンライン展覧会】「月岡芳年―血と妖艶」第3章 闇

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 太田記念美術館にて、2020年8月1日~10月4日に開催された「月岡芳年―血と妖艶」展のアーカイブです。展覧会は「血」「妖艶」「闇」の3章構成となっており、さらに前期と後期で全点展示替えをしておりましたが、このオンライン展覧会では、第3章「闇」で展示した全50点の画像、ならびに全ての作品解説を掲載しています。
 note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくような感じでお楽しみいただけます。
オンライン展覧会の入館料は600円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。
 いつでも、どこでも、お好きな時に「月岡芳年ー血と妖艶」展をご鑑賞ください。
※一部に残酷な表現が含まれますので、閲覧・購入の際にはご注意ください。

はじめに

 月岡芳年の武者絵や歴史画には、夜を舞台にした作品が数多くあります。例えば、不気味な存在感をはなっている妖怪や幽霊たちが闇の中から姿を現し、人間たちと対峙するような場面。あるいは、輝く満月の下で、刀を交えながら激しく戦う武者たち。さらには、月明かりの下で繰り広げられる、悲しみや切なさが漂う物語。
 作品の多くの面積が漆黒の色で占められ、張り詰めた緊迫感が漂っています。現代の私たちをも惹きつける、迫力ある構図を得意とした芳年ならではの魅力が詰まっているといえるでしょう。
 月にまつわる歴史や物語を描いた「月百姿」や、妖怪を題材とした「和漢百物語」や「新形三十六怪撰」、さらには、浮世絵史上もっとも残酷な絵画とも言うべき「奥州安達がはらひとつ家の図」など、さまざまな作品を通して芳年の闇の魅力を紹介します。

№1「和漢獣物大合戦之図」大判3枚続 万延元年(1860)10月

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人間ではなく、日本と異国の動物たちが激しい戦いを繰り広げる様子を描く。画面右は白象を大将とした異国勢で、豹や虎、山羊などが見える。左側は黒熊を大将とした日本勢で、猿や犬、狸などが連なる。

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幕末になり、異国の情報が多く入ってくるようになると、これら動物はその珍しさから盛んに浮世絵に描かれるようになった。一見かわいらしい絵に見えるが、攘夷論が高まりを見せていた、当時の不安定な政情を風刺した可能性も大いに考えられるだろう。

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№2「通俗西遊記 金角大王」大判 慶応元年(1865)2月

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西遊記は今でもよく知られる人気の物語だが、江戸時代に既に読本『絵本西遊全伝』として刊行されている。「通俗西遊記」は全21図が確認されており、浮世絵のシリーズとしてはじめて西遊記が題材となった例でもある。西方への途上で遭遇したさまざまな怪異に、孫悟空らが立ち向かう様子を描き出す。本図は孫悟空と妖怪の金角大王の戦いを描く。金角が芭蕉の扇を一振りすると、孫悟空は炎に飲み込まれてしまった。しかし孫悟空は一本の毛で自分の身代わりを作り、隙を見て筋斗雲に乗り逃げ出す、というストーリー。闇の中、波のように巻き起こる炎は迫力に富む。


№3「岩見重太郎兼亮の狒々退治」大判3枚続 慶応元年(1865)6月

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岩見重太郎は安土桃山時代の伝説的豪傑。のちに豊臣家に仕え薄田兼相と名乗ったとされている。毎年若く美しい未婚の娘を箱に入れ、神様に捧げねばならないという村にたどり着いた重太郎は、その風習に憤り、娘の身代わりとなった。そして夜中、襲撃してきた巨大な狒々を見事退治したという、全国各地に残る重太郎の伝説を題材としている。本図は、鬱蒼とした森の中、既に生贄となっている娘を救出する場面が描かれている。狒々やその周りの不気味な化物は、師・国芳からの影響が強く見られる。

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№4「和漢百物語 左馬之助光年」大判 慶応元年(1865)2月

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「和漢百物語」は、慶応元年(1865)に出版された、全26図が確認されるシリーズ。芳年の画業の初期にあたり、日本と中国の怪談や奇談を題材としている。左馬之助光年とは、明智光秀の重鎮であった明智秀満のこと。本図は友人・入江某の娘が狐に憑かれて困っていたところを退治したという、『絵本太閤記』四編巻之六を典拠とするエピソードを題材としている。暗闇の中、草木の影から狐火を見つめており、突撃するタイミングを伺っているのだろう。


№5「和漢百物語 真柴大領久吉公」大判 慶応元年(1865)2月

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真柴大領久吉公とは、羽柴(豊臣)秀吉のこと。比叡山を焼き討ちした信長の意志を継ぎ、次は高野山を攻めることを考えていた秀吉は、視察に向かう。しかし山中で激しい雷雨に襲われ、逃げるようにして山を降りたといわれている。詞書には密教の戒律を破ることを試みたため雷雨に見舞われたとあり、一部異なるものの『絵本太閤記』六編巻之十一に典拠となるエピソードがある。雨の線を太く描くことと、傘を大きく広げたりひっくり返したりすることで、雨風の激しさを表現している。画面を斜めに貫く稲妻の存在が、より印象的な画面を作り上げているといえるだろう。

久吉公は其身卑賎より成発て極官に登庸なし剰遠く異朝までも勇威をしめしたまひしが一年野山の登上して密戒を試んと大師の穴居を探しに忽震動雷電して暴風盆をかたぶければさすがの将も駭恐怖麓へかへりたまひしとぞ 菊葉亭露光記


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