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歌川広重の「名所江戸百景」でお花見を楽しもう

桜が満開の季節です。浮世絵には桜を描いた作品がいくつもありますが、その制作数がもっとも多いのが、風景画の名手である歌川広重です。広重の最晩年の代表作「名所江戸百景」にも、桜の花は数多く登場します。今回は広重の「名所江戸百景」の中から、特に桜が満開に咲いている様子を描いた名品4点をご紹介します。

①「千駄木団子坂花屋敷」

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現在の東京都文京区千駄木にある団子坂。そのすぐそばに、植木屋の楠田宇平次が開いた花屋敷という庭園がありました。その広さは2500坪。梅や桜など、四季折々の草木が植えられており、桜の季節になると、ご覧のとおりの華やかさです。

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この花屋敷が完成したのは、嘉永5年(1852)。この絵が刊行されたわずか4年前の出来事です。広重は、出来たばかりの話題の新名所を、題材として選んだことになります。

この花屋敷の中でとくに有名なのが、画面の右上にある、紫泉亭(しせんてい)という渡り廊下でつながった風変わりな建物です。

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ご覧のとおり、崖の上に立っていて、中には浴室もあったことから、風呂上がりに素晴らしい眺望を楽しむことができたと伝わっています。

この紫泉亭から崖を降りると池があり、その周囲に桜の花が植えられていました。満開の桜を観光客たちがくつろぎながら楽しんでいます。

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②「玉川堤の花」

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内藤新宿付近、現在の新宿御苑の近くを流れていた玉川上水のほとりの光景です。ご覧のとおり、見事な桜並木です。

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実はこの桜並木、この場所を新たな観光名所とするため、内藤新宿の旅籠屋たちが、安政3年(1856)2月、約75本の桜を植樹したことによって誕生しました。この絵の改印(出版の許可印)は、桜が植えられたのと同じ安政3年2月ですので、広重はこの新しい名所をすぐさま取材したことになります。

しかしながら、この桜並木、すぐに撤去されることになってしまいます。実は「御用木折り取るべからず」という札が立てられたのですが、この札が、幕府が桜を植えた木と偽ったと解釈され、幕府の怒りを買ってしまったのです。安政3年4月4日までに桜は撤去されたということですので、2か月も経たないという短い期間で消滅してしまった、幻の名所なのです。

ご覧のようなにぎわいも、安政3年の年限りだった、ということです(4月4日というのは旧暦ですので、桜は開花していたのでしょう)。

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ちなみに、玉川上水の右側には旅籠屋が立ち並んでおり、2階から桜を見下ろしている遊女らしき姿も見えます。

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③「上野清水堂不忍池」

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赤色の建物は、上野の寛永寺の境内(現在の上野公園)にある清水堂(きよみずどう)です。京都の清水寺にある「清水の舞台」を模したもので、崖の上にせり出すように建てられているため、見晴らしが大変にすぐれていました。

上野公園は現在でも桜の名所として人気ですが、その歴史は江戸時代から続いています。清水堂の周囲もご覧のとおり、満開の桜に囲まれています。

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見物客たちは、見晴らしのよい清水堂から桜を見下ろすという、この場所ならではの景色を楽しんでいたことでしょう。

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清水堂から一望できたのが、目の前に広がっている不忍池です。池の中には小さな島があり、弁財天が祀られていました。池の中に描かれている道はその島につながる参道で、神社の入口であることを示す鳥居も見えます。

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ちなみに、一番左にある松の木。枝が曲がって円形となった、奇妙な形をしていることにお気づきでしょうか?

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この松は、丸くなった枝が満月のように見えることから「月の松」と呼ばれていました。人為的なものではなく、自然にこのような丸い形になったそうです。

広重は同じ「名所江戸百景」の「上野山内月のまつ」で、もう一度、この月の松を描いています。当時この松はそれほど有名ではなかったのですが、広重は気に入っていたようです。残念なことに、明治の初めに嵐で松は倒れてしまいました。(2012年に復元された月の松が清水堂の前に植えられました。)

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④「隅田川水神の森真崎」

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最後に紹介するのは、桜の花をアップで描いた作品です。画面の手前に満開の八重桜が大きく配置し、遠近を対比させるという、広重お得意の構図です。

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現代の日本人が好む品種であるソメイヨシノは花弁が5枚ですが、八重桜は花弁が多数あるのが特徴です。また、八重桜の開花の時期は、ソメイヨシノよりも1~2週間遅い、4月中旬頃です。この絵はすっかり春の陽気に包まれた頃なのでしょう。

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場所は、隅田川の東岸の土手から、水神の森に囲まれた水神社を見下ろしています。鳥居の両脇には石灯籠があり、右奥には神社が見えます。

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ゆったりと広がる隅田川を挟んだ対岸は真崎(まっさき)という地域で、さらに遠方には筑波山がそびえています。

広重の桜、いかがだったでしょうか。実際のお花見に出かける人も、今年はおうちでゆっくりしていようという人も、広重の描いた桜で、春の訪れを楽しんでください。

参考文献
・ヘンリー・スミス『広重 名所江戸百景』岩波書店、1992年。
・原信田実『謎解き 広重「江戸百」』集英社文庫、2007年。

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文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)


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