江戸時代のアイロン?という話
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江戸時代のアイロン?という話

浮世絵には、吉原遊郭や、そこで働く遊女たちの姿が数多く描かれています。今回は、ある雨の日の、遊女たちのワンシーンをお届けいたします。

こちらは歌川国貞の「江戸八景 吉原ノ夜雨」。遊郭の妓楼の一部屋を描いています。

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窓の外を眺めると、日はすっかり暮れており、激しい雨が降っています。もし男性客がこんな雨の中をやって来たとしたならば、間違いなくずぶ濡れになっていることでしょう。

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しかしこの絵の中には、ずぶ濡れになった男性客の姿はありません。描かれているのは、男性の着ていた服や持ち物だけです。

まずは右側にいる2人の女性を見てみましょう。男物の着物を床の上に広げ、ピンと伸ばしています。2人が身につけているヘア・アクセサリーを比べてみて下さい。

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右側の女性は、花の飾りのついた華やかな簪を何本も挿しています。こちらが高位の花魁。男性客もこの花魁を目当てに遊郭にやって来たのでしょう。

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一方、左側の女性はシンプルな髪飾りで、振袖の着物を着ています。彼女は振袖新造(ふりそでしんぞう)という身分。正式な遊女となる前の見習いです。

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さて、2人は何をしているのでしょうか。ご推察のとおり、雨ですっかり濡れてしまった男性客の着物を乾かそうとしています。今風に言えば、当て布をして、アイロンをかけようとしているところです。

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ただし、電気のない江戸時代のアイロンは、今とは違った形をしています。下の図版の女性が使っているのが、江戸時代のアイロン。「火熨斗(ひのし)」と呼ばれるもので、底の平らな容器に木の柄がついており、容器の中に炭火を入れ、着物のシワを伸ばしました。(画像は石川豊信『絵本教訓種』)

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花魁も容器の中に炭火を入れています。しかし、火熨斗かと思いきや、よく見ると、容器には木の枝が付いておらず、代わりに取っ手のようなもの付いています。はたしてこれは火熨斗なのでしょうか?

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その答えは、花魁の隣にある煙草盆にあります。豪華絢爛な蒔絵を施した鬢台(びんだい)形の煙草盆。花魁に見合った高級品ですが、煙草につける火種を入れた器である「火入れ(ひいれ)」が見当たりません。本来は、あいている穴のところにすっぽりと収まっているはずです。

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実は、花魁が火熨斗代わりに使おうとしていたのが、煙草盆の火入れだったのです。火入れは火熨斗の代わりに使うものではありません。花魁が男性客の着物を乾かしてあげるため、そばにあった高級品の火入れを使おうと思いついたのでしょう。

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男性の着物を乾かすという、高位な花魁であれば普段はしないであろうことを、かいがいしくしてくれる。激しい雨の中をやって来てくれた男性客に対する、花魁の愛情こもったお返しでしょうか。あるいは、男性客の気持ちをグッとこさせようとする、恋の駆け引きなのかもしれません。

ちなみに、火入れの隣に置かれている金属製の蓋のようなものは、火屋(ほや)と呼ばれる、火入れの蓋。彫金の技術の高さがうかがえます。

左端にいる女性にも目を向けてみましょう。黒い耳盥の上で、びしょびしょに濡れた合羽を絞っています。もちろん、この合羽も男性客のものでしょう。

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おそらく男性客は、下の絵のような感じで合羽を着こんで、遊郭までやって来たのでしょう。(画像は溪斎英泉「江戸八景 吉原の夜雨」)

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耳盥は、化粧道具として、鉄漿(おはぐろ)をする時に口をすすぐために使いますが、この絵のように、バケツ代わりに、濡れた合羽の水を入れるものではありません。単に真っ黒な色をしていますが、おそらく漆塗りの高級品かと思われます。

廊下に草履がひっくり返っていますので、びしょ濡れの合羽をどうにかしようとよほど慌てていたのでしょう。同時に、男性客がそれだけ特別な存在であるともうかがえさせます。

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さて、最後に注目したいのが、窓辺に置かれた傘です。

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こちらも男性客のものでしょう。重ねられた下駄の隣に、濡れた傘が立てかけられていますが、傘の柄がお椀の中に入れられています。水が床に滴るのを防ぐためでしょう。見逃してしましそうなほど何気ない描写ですが、江戸時代の人々が濡れた傘を部屋の中でどう置くのか、暮らしの一端を垣間見ることができる貴重な表現です。

さて、太田記念美術館では、浮世絵に描かれた天候にスポットを当てた「江戸の天気」展を、2021年6月26日(土)~8月29日(日)に開催しました。現在はオンライン展覧会としてご覧いただけますので、江戸の天気にご興味のある方はご利用ください。ただし、今回ご紹介した作品は、展覧会に出品しないものも含んでおりますので、ご注意ください。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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