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平安時代の悲しい恋のお話ー月岡芳年の浮世絵より

明治時代の浮世絵師、月岡芳年が描いたこちらの作品。

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船の上にいる女性が琵琶を抱えていますが、演奏はしていません。

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顔をよく見ると、目頭を押さえて、流れる涙をとどめようとしているようです。

明治19年(1886)に制作された月岡芳年の「月百姿 はかなしや波の下にも入ぬへし つきの都の人や見るとて 有子」という浮世絵です。Twitterでも紹介しましたが、実は、せつなくも悲しい、恋の物語を描いているのです。

この浮世絵の典拠となるのは『源平盛衰記』第3巻。

平安時代後期の公家である徳大寺実定が厳島神社に参詣した際、内侍(ないし)という厳島の巫女たちが歓迎します。実定は、内侍の中でも、琵琶の上手な「有子(ありこ)」という16~7歳の女性を寵愛しました。

実定が都に戻る際、有子は別れがたく、他の内侍とともに都までついていきました。しかし、身分の低い有子はそれから実定に会うことができません。その後も思いを抱き続けますが、願いは叶わないことに絶望を覚え、有子は自ら命を絶つことを決意します。

せめて実定の近くで死のうと、都の近くの海で舟に乗る有子。慰めに琵琶を弾いていましたが、悲しみで涙が止まらず、演奏が続かないようです。

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月明かりに照らされた有子の黒い着物には、「正面摺(しょうめんずり)」という技法によって、光沢が出ているのがお判りでしょうか?

そして、有子が最期に詠んだ和歌がこちら。

「はかなしや波の下にも入ぬべし つきの都の人や見るとて」
(はかないことです。私は波の下へと参ります。月の都にいるあの人が、私のことを見ているかと思って。)

都にいる実定のことを想いながら、海の中へと沈んでいくのです。

水面に照り返っている月の輝きが、有子の悲しみを一層つのらせます。

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しかし、これは単に美しい月の光ではありません、この月の光に、月の都、すなわち、愛しくてたまらない実定が住む都の世界が重ねられています。そしてそれは、月の光を掴もうとしても決して掴むことができない、はかない願いを象徴してもいるのです。

この作品は、オンライン展覧会「月岡芳年ー血と妖艶」展にて紹介しています。

また、月岡芳年の「月百姿」全100点の図版を掲載した画集、太田記念美術館監修『月岡芳年 月百姿』(青幻舎、2017年)に掲載しています。ぜひご参照ください。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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