『北斎漫画』の最終巻は北斎の真筆ではない?という話
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『北斎漫画』の最終巻は北斎の真筆ではない?という話

葛飾北斎の代表作であり、広く海外にも影響を与えた『北斎漫画』。その完結編となる15編が、北斎の没後29年が経った明治11年(1878)に刊行されたことを以前の記事で紹介しました。

北斎が亡くなってからかなりの年数が経っているにも関わらず、新たな作品を刊行することがはたして可能なのでしょうか。今回は『北斎漫画』15編がどのように制作されたのかをご紹介しましょう。

まず、『北斎漫画』15編の序文を読んでみましょう。版元である永楽屋の主人・片野東四郎が出版の経緯を以下のように記しています。

その第十五編のごとくは、画本半ば成り、いまだ梓に付かず。(中略)奇なるかな。しばらくして幸いに翁の遺墨若干葉を筐底の故帋の中に得る。よってこれを未刻の画本の中に補入す。以て梓に付け第十五編と名づく。

『北斎漫画』15編の版下絵は半分まで完成していたのですが、彫りの作業までは入っていませんでした。その後、東四郎が『北斎漫画』の完結を決意したところ、なぜか北斎の残した下絵が箱の底から発見されたので、これを途中まで作業を進めていた15編に補って制作したというのです。

しかしながら、北斎が亡くなって29年も経つのに、新たに北斎の絵が発見されるというのはちょっとおかしな話です。実は裏で何があったかを、織田杏斎という人物がネタばらししています。飯島虚心の『葛飾北斎伝』の中で、織田杏斎から直接聞いた話として、以下のように記されています。

北斎漫画の十四編十五編ハ、北斎翁の遺墨をあつめたるものなれど、十五編に至り、丁数不足して、一冊となすこと能はず。永楽屋大に苦しみ、終に予をして他書にある北斎の画をあつめて、画かせ、一冊となしたり。十五編の中に、桜の精霊および児島高徳などの画は、皆予が北斎にならひて、画きたるものなり。
   ー飯島虚心『葛飾北斎伝』蓬枢閣、1893年。

『北斎漫画』の15編を刊行するにあたり、北斎の下絵が足りませんでした。そこで、杏斎が他の本に掲載された北斎の絵を集めて、模写したというのです。また、中には、北斎を真似して杏斎が描いた絵もあるといいます。

織田杏斎は弘化2年(1845)生まれ。北斎が亡くなる4年前に名古屋で生まれたので、北斎と直接の面識はありません。北斎の弟子に入門したということもなく、そもそも浮世絵自体も描いていません。そんな北斎とは縁もゆかりもない人物が関わっていたのです。

ちなみに、こちらは杏斎の遺作集。文人画を多く描いています。

では、具体的に『北斎漫画』15編を見てみましょう。まず、杏斎が北斎を真似て描いたという桜の精霊。

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桜の木や草のタッチは北斎風ですが、女性の顔は明らかに北斎の画風とは異なります。

次に、模写をしたという北斎の絵本について。これは『北斎画鏡』を元にしていることが、永田生慈氏によってすでに指摘されています(『北斎漫画 三』岩崎美術社、1987年)。『北斎画鏡』とは文政元年(1818)に刊行された北斎の絵手本です。杏斎がどのように北斎を模写しているか比べてみましょう。

まずは『北斎漫画』15編の「和漢子供遊」。日本と中国の子どもたちが遊んでいる様子です。

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実はこれは『北斎画鏡』の別々の3点の図が組み合わせされています

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杏斎は『北斎画鏡』を敷き写しにしたと思えるくらい、毛の形や着物の模様といった細かいところまでしっかりと模写しています。しかし、ただ単にトレースしているのではありません。1枚目は唐子の配置を変え、2枚目は大黒天の姿を取り除いた上で、子どもたちを一つの部屋の中に巧みに配置するというアレンジを加えているのです。

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次は『北斎漫画』15編の「巫女の川渡」と「大根売」です。

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こちらも『北斎画鏡』を丁寧にトレースしています。

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ただし、『北斎画鏡』は横に細長い画面だったのですが、『北斎漫画』15編では、右側の「巫女の川渡」を下にずらすことで、見開きのページをまるまる使うようにアレンジしています。そのため空間に広がりが生まれ、絵を見た時の印象がだいぶ異なるように感じます。

3例目は『北斎漫画』15編の「野豚」。4頭のイノシシが走り回っています。

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こちらも『北斎画鏡』の「野豚」を参照しています。ただ、こちらのイノシシは3頭です。『北斎漫画』では1頭追加されていることになります。

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しかし、『北斎漫画』15編のイノシシをもう一度じっくりご覧ください。

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赤丸で囲ったイノシシ、よく見ると、まったく同じポーズをしています。1頭をコピーすることで、イノシシの数を増やしているのです。

最後に紹介する『北斎漫画』15編は、巨大な鯛が暴れたのか、調理人がひっくり返っている様子。

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こちらも『北斎画鏡』の「鯛」を模写しています。

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ポーズはまったく同じなのですが、『北斎漫画』は鯛や調理人を45度回転させ、さらに、空中を舞う机を追加することで、より画面に動きを与えるというアレンジを加えています。

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他にも『北斎漫画』15編における『北斎画鏡』からの模写を探してみたところ、全体の3分の2を占めていることが明らかとなりました。しかも単に模写をするだけではなく、『北斎画鏡』と同じであることが気が付かれないようにするためか、違うページにあったモチーフを一つの画面に組み合わせたり、構図や配置を変えたりと、細かなアレンジを加えている例が随所にあります。

著作権の厳しい現代からすると大丈夫なの?と思ってしまいそうです。実は『北斎画鑑』はもともと名古屋の菱屋久兵衛という版元が文政元年(1818)に出版したのですが、安政5年(1858)には版木が永楽屋の所有となり、『北斎画鑑』と改題して出版されていました。版元・片野東四郎は、自分が所有権を持つ過去の北斎の絵本を再利用することで、『北斎漫画』の完結編を仕立てようとしたのです。

以上のように検証してみますと、『北斎漫画』の完結編となる15編は、3分の2が過去の作品をトレースしたり、アレンジが加えられたものです。また、残りの3分の1には、北斎の真筆が含まれていると思われますが、杏斎によって描き足されているケースもあります。そのため『北斎漫画』15篇を、北斎の意図が反映された真筆であるとは言い難いのです。

北斎が亡くなって29年。北斎の新たな作品として『北斎漫画』の完結編を作ることは、やはり難しかったようです。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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