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【オンライン展覧会】浮世絵と中国

太田記念美術館にて、2023年1月5日~1月29日開催の「浮世絵と中国」展のオンライン展覧会です。

note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくような感じでお楽しみいただけます。
オンライン展覧会の入館料は800円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。いつでも、どこでも、お好きな時に「浮世絵と中国」展をご鑑賞ください。

展示作品リストはこちら→http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/2023/01/chinainukiyoe-list.pdf

はじめに

浮世絵では「三国志」や「水滸伝」の豪傑たち、仙人や古代中国の衣装をまとう女性など、中国の人々が数多く描かれます。さらに花鳥画には漢詩が添えられていることもあり、当時の人々の中国文化に対する親しみがみてとれます。一方では仙人を女性に置き換えたり、豪傑の活躍をパロディ化したり、創作を加えた作品も人気でした。
江戸時代は、ながく鎖国下にあったとはいえ中国の古典文学や故事は教養として定着しており、最新の中国文化は注目の的でした。浮世絵師たちもまた、中国由来のあらゆる画題を手掛け、派生作品も次々と生み出していったのです。
本展では、中国文化の影響を示す作品を3部構成でご紹介します。第1部では武士も制作に関わることのあった18世紀の作品を、第2部では市民の好みが反映されることの多かった明治にいたる19世紀の作品を、第3部では見立てやパロディで描かれた作品をご覧いただきます。これらの作品を通じて浮世絵と中国文化の意外なつながりを読み解きます。

Ⅰ 18世紀の浮世絵と中国~初期浮世絵から寛政の改革~

17世紀後半に興った浮世絵は、遊里や芝居を主な取材源に、世相を反映しつつ展開します。しかし同時に、中国由来の伝統的な画題、また新しくもたらされた技法や表現も取り入れ、その世界を豊かなものへとしていきました。とりわけ中国版画(版本)の影響は大きく、西洋の透視図法をもたらすと、「浮絵うきえ」(遠近感を強調した景観描写)の発展をうながします。そして多色摺の技術も、浮世絵に取り入れられていきました。
 また18世紀後半、浮世絵の制作には武家階級の人々も深く関わっていました。中国の新旧の文学に通じた彼らの存在は、中国を題材とした錦絵や黄表紙の制作だけでなく、『唐詩選とうしせん』や中国白話小説の絵本化を支え、多彩な創作物をもたらすこととなったのです。

№1 鳥居清胤「遊女と鍾馗相合傘」紙本1幅 享保(1716-36)頃

鍾馗しょうきは、中国で悪鬼をはらうとされた神です。その伝説は開元年間 (713-41)、唐の玄宗げんそう皇帝が病の床にあった際、夢の中に男が現れ悪さをする小鬼を退治します。皇帝が名を問うと自分は科挙かきょに落第した終南山しゅうなんざんの進士である鍾馗と答え、目覚めると玄宗は快癒しており、絵師の呉道玄ごどうげんにその姿を描かせたとされます。

№2 鳥山石燕「唐美人図」紙本1幅 延享ー明和初期(1744-65)頃ヵ

髪を結う中国風の女性。柔らかな衣紋線やゆったりとゆれる領巾ひれが女性のたおやかな美しさを演出しています。作者の鳥山とりやま石燕せきえんは初め狩野派を学び、俳諧や生花など諸芸に通じた絵師。なお狩野派の絵手本『ぜん』巻之四には似た姿の女性が「王昭君おうしょうくん」(中国前漢の元帝の宮女。匈奴きょうどとの和親のため呼韓邪単于こかんやぜんうに嫁したとされる美貌の女性)として描かれており、本図も同画題を扱ったものかもしれません。画中の七言絶句は「窈窕紅顔帯美新 真成国色絶比倫 朝来手櫛倚明鏡 驚駭蛾眉初天洵」。

№3 鳥山石燕「関羽図」紙本1幅 安永ー天明8年(1772-88)頃

『三国志』の英雄、関羽かんうとその部下である周倉しゅうそう。関羽の赤い顔、切れ長の目と長い髭、また周倉の大きな目や青龍偃せいりゅうえんげつとうを持つ姿は、両者を描く際の典型的なものです。口角を下げた関羽の表情には迫力が備わります。また髭には柔らかく細い線が用いられ、体毛の質感表現への工夫が見られます。

№4 鳥文斎栄之「毛延寿図 王昭君図」紙本双幅 寛政中期ー文政12年(1793-1829)

№2の作品でも触れた王昭君おうしょうくんの逸話を題材とした作品。元帝は、画家のもう延寿えんじゅが描いた絵をもとに側に召す女性を決めていました。美しく描いてもらおうと宮女たちが賄賂を送るなか、これをしなかった王昭君は醜く描かれ、寵を得ることなく匈奴きょうどへ嫁すこととなったと伝わります。なお作者の鳥文斎ちょうぶんさい栄之えいしは500石の旗本、細田家の長男。御小納戸役を致仕し寄合となって以後、浮世絵の作画を行い楚々とした女性美を得意としました。

コラム①

№5 菱川師宣『新板 団扇画様集』大本1冊 天和2年(1682)刊

初期浮世絵を代表する菱川ひしかわ師宣もろのぶによる、団扇や扇の中に、武者絵や歌仙絵、当世風俗、花鳥画などさまざまなジャンルの画題を描いた絵本。展示場面は唐の玄宗げんそう皇帝こうていの寵妃であった楊貴妃ようきひが池辺に遊んだ様子をとらえます。他には唐子を連れた布袋が描かれ、中国画題も扱う師宣の画技の幅広さがうかがわれます。

№6 大森善清「唐よ 鍾旭(『あやね竹』)」横大判 元禄15年(1702)序刊

獅子に乗る鍾馗しょうき(画中では鍾旭)と、橋の下に隠れる鬼を描きます。おおらかな筆使いで描かれた鍾馗たちの姿はどこかユーモラスです。もとは中国の古典画題を集めた絵本『あやね竹』の1図で、作者の大森おおもり善清よしきよは初期の上方絵本を手掛けた絵師。『あやね竹』序文では絵馬を写したと記しますが、善清が中国画題をどのように収集したかには不明な点も残ります。

№7 田村貞信「浮絵中国室内図」31.8×43.3cm 元文ー寛保(1736-44)頃

西洋の透視図法をとり入れた作品。中国・蘇州版画を模写した作品「蓮池亭れんちてい遊楽図ゆうらくず」(海の見える杜美術館蔵)と、天井や床の形状、画面左に堤防のような建築物を配する構図が近似します。中国版画を介してもたらされた透視図法を、絵師たちは理論的に未消化ながらも新しい表現として取り入れた様子がみてとれます。遠近感を強調した作品は1740年代以降、「浮絵うきえ」と称され展開しますが、本図は初期浮絵に属する1点です。

№8 歌川豊春「浮絵異国景跡和藤内三官之図」横大判 安永(1772-81)前ー中期頃

近松ちかまつもん衛門えもん作の浄瑠璃『国性爺こくせんや合戦かっせん』の三段目「獅子が城楼門の場」。主人公和藤内わとうない三官は、台湾を拠点にみん国復興の活動を行った鄭成功ていせいこうがモデルです。場面は渡唐した和藤内が義理の姉、錦祥女きんしょうじょの夫で甘輝かんき将軍に味方になってもらうためその居城、獅子ヶ城を訪れるところ。人物や城門は中国風で、他の建物や帆船などは西洋風に描かれています。水平線は初期浮絵に比べ下方に設定されますが、豊春が明和年間(1764-72)頃にもたらされた中国製の眼鏡絵【参考図】などの透視図法を取り入れた成果とされます。新しい表現を取り入れ、豊春は初期浮絵に比べより安定した画面を構築していきました。

【参考図】作者不詳「ベネチア風景」18世紀 24.0×35.6cm 太田記念美術館蔵

コラム②

コラム③

№9 鈴木春信「猫に蝶」中判 明和2-7年(1765-70)頃

飼い猫が蝶を見つめています。日常の情景を描いたものですが、中国では猫と蝶の組み合わせは、70歳と80歳を示す「耄(mao)」「耋(dei)」が、それぞれ「猫(mao)」「蝶(die)」と音が通じることから、長寿を示すおめでたいものとされました。当時、中国由来の画題や表現を用いて人気を得ていた南蘋派なんぴんはの作品でも好まれた画題です。また背後の秋海棠しゅうかいどうと野菊の、輪郭線のない技法は無線摺むせんずりと称されるもの。同様の技法は中国の画譜である『十竹斎画譜』【参考図】などにも見られ、技術の影響をうかがわせます。

【参考図】胡正言『十竹斎書画譜 不分卷』「秋海棠」 天啓崇禎年間(1621-44)刊 (後印)
国立国会図書館デジタルコレクションより転載

№10 鈴木春信「やつし費長房」20.6×27.0㎝ 明和2年(1765)頃

費長房は後漢の道士。師である壺公ここうからもらった竹杖を葛陂かっぴ(河南省新蔡県の北にある湖沼)に投げ入れると龍となった、などと伝えられます。春信らは、費長房を当世風の女性に置き換えその機知を楽しんだようです。また本図は明和2年の絵暦。画中の手紙には大小の月が示されています。なお、日本では乗鶴の仙人として描かれることの多い費長房ですが、じつはこれは日本独自の解釈であることが指摘されています。

№11 鈴木春信「林間煖酒焼紅葉」中判 明和5年(1768)頃

雨が降る秋の日、遊女が紅葉の葉を火鉢で焚いて酒を温め、若衆がそれを見つめています。注目したいのは衝立の「林間りんかんに煖酒さけをあたためて焼紅葉こうようをたく」。これは唐代の詩人、はくきょによる秋の風情を賞する漢詩の一文です。卑近な遊里の情景に古代中国の雅やかな世界を重ね合わせる、その機智も魅力の作品です。

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