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歌川広重の梅の浮世絵で春の訪れを感じてみた

立春を過ぎると、暦の上ではもう春。まだ肌寒い日が続きますが、梅の花が咲き始め、春の到来が近いことを感じさせます。今回は、一足早く春を感じるため、歌川広重が描いた梅の浮世絵をご紹介しましょう。

まずは「東都名所 亀戸梅屋舗ノ図」。江戸の町には梅の名所がいくつかありましたが、中でも一番の人気を誇ったのが亀戸の梅屋敷です。

亀戸の梅屋敷は、もともとは伊勢屋彦右衛門という商人の別荘で、正式には清香庵と称しますが、庭園にたくさんの梅の木が植えられていたことから梅屋敷と呼ばれ、大勢の見物客たちでにぎわいました。場所は、現在の東京都江東区亀戸3丁目ですが、明治43年(1910)、洪水による水害ですべての梅の木が枯れ、廃園となってしまいました。今では石碑だけが残っています。

広重は梅屋敷にやってきた人々の姿を丁寧に描いています。縁台に座って友人たちと談笑する人たち。まだ肌寒い季節ですので、頭巾をかぶったり、襟巻を巻いたりと、しっかりと寒さ対策をしています。

膝を組んで座ったり、お茶を飲んだりしながら、静かに梅を眺める人たち。紙を広げて、和歌か俳諧を書き記そうという人もいます。

客が大勢いますので、水茶屋の店員さんは大忙し。お盆に乗せた茶碗をせわしなく運んでいます。

一方、梅の花はあまりはっきりと見えません。背景の空が薄い紅色で、花の部分を白く摺り残しているのですが、紅色が薄くなりすぎて、アップで見てもよく分かりません。

次に、同じく、亀戸の梅屋敷を描いた浮世絵をご紹介しましょう。皆さんも一度は見たことがある浮世絵ではないでしょうか。「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」です。ゴッホが模写をしたことでも有名です。

最初に紹介した浮世絵は、見物客たちのいる柵の外側から梅の木を眺めていましたが、こちらは逆の視点から描かれています。すなわち、梅の木の植えられた柵の内側から、見物客たちを眺めているのです。小さいので見逃してしまいがちですが、遠くにそのにぎわいが見えます。梅の幹を画面の手前に大きく描くことで、遠近感がより強調されています。

さて、梅の花もじっくりと見てみましょう。広重は花の内側と外側、いろいろな角度から観察して、描き分けていることが分かります。

そして「名所江戸百景」で梅を描いた作品といえば、有名な「亀戸梅屋舗」のほかに「蒲田の梅園」も知られているのですが・・・、

もう一つ、「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」も見過ごしてほしくない逸品です。料亭の2階の円窓から隅田川を眺めるという、大胆な構図が印象的ですが、窓の外に梅の枝が見えます。

梅の木は、幹を画面に入れることはせず、細い枝だけを描写しています。そのため背景にまぎれてしまいがちですが、実は、梅の花は窓のすぐそばにあるのです。それに気が付くと、梅のさわやかな香りがより強く感じられることでしょう。

風景画以外の作品もご紹介しましょう。梅を大きく捉え、鳥とともに描いた花鳥画というジャンルも広重は手掛けています。こちらは「白梅に寿帯鳥 」。寿帯鳥(綬帯鳥)とは長い尾を持つ鳥の総称で、梅と組み合わせられることで、夫婦円満を意味するおめでたい画題となります。

梅の花を拡大して見てみましょう。つぼみから少しずつ花が開き始めている様子が丁寧に描写されています。

さて最後に、ちょっとバカバカしい梅の絵をご紹介したいと思います。まずはこちらをご覧ください。

奇妙な恰好をした男性です。着物を頭にかぶり、腰には擂粉木を差しています。しかも片足で立つという奇妙なポーズ。

どこが梅の浮世絵?という感じですが、男性の前に障子を立てるとご覧のとおり。

梅の木にとまるウグイスの影絵となりました。「即興かげぼしづくし 梅に鶯」という作品です。足のつま先でキセルを掴み、梅の枝に見立てているのです。

梅の花はどうなっているかと言えば、くくり猿という猿のお守りになっています。きれいな風景画が得意な広重らしからぬ、笑いがあふれる楽しい作品ですね。春の訪れを感じていただけたでしょうか(笑)。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)


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