明治時代のアイヌの暮らしを描いた浮世絵を紹介します
2020年7月、北海道白老郡白老町において、アイヌ民族博物館(1984年開館)を発展させたウポポイ(民族共生象徴空間)が設立されました。また、アイヌ文化を取り扱った漫画『ゴールデンカムイ』も話題となり、2024年には実写映画化・ドラマ化もされました。
そこで、浮世絵ではほとんど描かれることのない北海道、なかでもアイヌ民族の暮らしを描いた浮世絵を紹介いたします。
明治3年(1870)、浄土真宗の僧侶である大谷光瑩(こうえい)、法名「現如(げんにょ)」は、明治新政府からの命を受け、北海道の開拓事業と布教を行いました。
その様子を伝えたものが、翌明治4年(1871)頃、浮世絵となって刊行された「現如上人北海道巡錫絵図」です。点数は、大判錦絵15点、大判錦絵3枚続1点。絵師は、二代国輝、三代広重、二代国貞、小林永濯といった、当時の人気絵師たちが分担して制作しています。
今回は、その中から3点の浮世絵をご紹介しましょう。
「訓縫」
1点目は、二代国貞が描いた「訓縫(くんぬい)」です。訓縫とは、現在の北海道長万部町南部の国縫のこと。おそらく皆さんも、単語としては聞いたことがあるであろう「イオマンテ」と関係のある場面が描かれています。
赤い法衣を着た現如上人が見ているのは、子熊ちゃんが閉じ込められている木製の檻。
アイヌでは、親熊を獲った際に子熊がいた場合、村に連れて帰ってきて、屋外の檻で1~2年、大切に育てました。この浮世絵では、子熊もかなり大きくなっているようです。この後、子熊の魂を神々の世界に送り帰す儀式を行なうことになりますが、その儀式のことを「イオマンテ」と呼びました。
イオマンテの儀式の最後には、子熊の頭がヌササンという祭壇にかかげられました。木の枝に飾られているのは、熊の頭骨でしょう。
「歌棄」
2点目は、二代国輝が描いた「歌棄(うたすつ)」です。歌棄は現在の寿都郡寿都町にあった村。昆布漁の様子が描かれています。
絵の中の説明によれば、歌棄ではニシン漁が盛んでしたが、現如上人が来ると、昆布がたくさん収穫できるようになったと記されています。ニシン漁と言えば小樽が有名ですが、歌棄でもかつては多くのニシンが獲れました。
「訓縫 其二」
最後に紹介する作品は、二代国輝の描いた「訓縫 其二」。国縫で暮らすアイヌの人々の、家の中の様子を克明に記録した作品です。
アイヌの人々が用いている生活用具の名前が、ひとつひとつ丁寧に記されています。当時の暮らしの様子がうかがえます。
右端には干した鮭が。
右の壁には弓や矢が。毒の文字も見えます。
天井には「海馬の腸 油入」がぶら下がっています。海馬、すなわちトドの腸を油入れにしているようです。
左下には、「タシロ」と呼ばれる山刀、そして「マキリ」と呼ばれる短刀が、壁に掛けられています。
今回紹介した作品は筆者の個人蔵ですが、「現如上人北海道巡錫絵図」全点は、函館市中央図書館が所蔵しており、デジタル資料館から画像を閲覧することができます。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)