浮世絵の象たちをご紹介いたします
現代人にとって、動物園やテレビで見慣れた動物である象。浮世絵にもしばしば登場するのですが、本来、象は日本には生息しない動物です。今回は江戸から明治にかけて象を描いた浮世絵をご紹介しながら、当時の人々にとって未知の動物である象が、どのような存在であったかも見ていきたいと思います。
北尾重政「江口の君図」寛政1~10年(1789~98)頃 絹本着色 一幅
白い象に乗るのは、謡曲『江口』で知られる遊女。『江口』は、西行法師が摂津国の江口で遊女と歌問答を行ったことや、遊女が普賢菩薩として現れた説話などがもととなったとされ、終盤、遊女の霊が普賢菩薩となり、乗っていた舟が白象と化して西の空に去るというものです。
女性の柔和な顔立ちには気品も漂います。なお、垂髪に何本も簪を挿す髪型や、帯を前に結ぶ着こなしは江戸時代の遊女独特のもの。
象には立派な牙が生え、目は細く弓なりの形をしています。特に目の表現は現代人には現実離れしているように見えますが、これは仏画において伝統的に行われたものでした。例えば、国宝「普賢菩薩」(平安時代[12世紀]、絹本着色1幅、東京国立博物館)の白象を見てみると
細く切れ長の目となっています。また、強い意思も備えているかのような、霊獣としての威厳が漂う表情となっています。とくに「江口の君図」は普賢菩薩の化身たる遊女を描きますから、こうした仏画の象の描写は意識されたことでしょう。また画中の賛は臨済宗の僧侶で京都大徳寺の390世であった真巌宗乗(?~1801)によって寛政10年に記されたもので「染色聞声吟奥長 見性悟道没商量 迷人不識普賢境 歌吹樽前総断腸 前大徳七十八翁真巌 応人之求題書」とあります。
葛飾北斎「麦藁細工図」文政3年(1820)大判錦絵4枚続
浅草で開催された麦藁細工の見世物を題材とした作品。『三国志』に登場する諸葛亮孔明や周倉などの立体物や、十二支の額面が並びました。画面左端に描かれるのは「白象に唐女」の細工。
象は一丈二尺(一尺=約30.3cm)と記されることから、およそ3m63cmの大きさであったことがわかります。その巨大さで人々を驚かせたと思われますが、見世物で造られるほど、象の存在そのものは江戸市民にも深く浸透していたことがうかがわれます。
葛飾北斎『北斎漫画』13編「象」嘉永2年(1849)頃 半紙本1冊
中国人風の人物がモップのようなもので巨大な白象の体を綺麗にしています。「洗象」と呼ばれる中国、明~清時代の行事をふまえたものと考えられ、これも異国趣味が強い画題です。
たるんだ皮膚や耳の端が欠けた様子から、老齢の象のようにも見えますが、北斎描くこの象の姿はとても迫力があります。
さて、日本人にとってながらく異国の霊獣であった象。しかし稀に外国からもたらされることがあり、実は江戸時代、象は3回渡来しています。
いずれもインドゾウで、このうち③の幕末にやってきた象は大きな反響を呼び、浮世絵も多数作られました。次にご紹介するのはその1点、歌川芳豊「中天竺馬爾加国出生新渡舶来大象之図」文久3年(1863)大判錦絵です。
両国での見世物を告知する内容となっています。また西洋人風の男性が世話をしていますが、これは実情を反映したというよりも、異国情緒を増すための演出と考えられます。象に限らず舶来の動物を描く作品には、異国のイメージを強めるため様々な外国の人が描きこまれました。
濃い灰色の体の色は、実際の姿を反映しているようですが、細長い目は、これ以前の描写を受け継ぐものとなっています。また画中文字には「此霊獣を見る者は七難を即滅し七福を生ず」とあり、象を福を呼ぶありがたい動物として宣伝しています。やはり舶来の珍しい動物は、象に限らず霊験あらたかな存在として人気を博していました。
河鍋暁斎「天竺渡来大評判 象之遊戯」文久3年(1863)大判錦絵
作者の河鍋暁斎は、先の作品が宣伝していた文久3年の見世物を実際に見て本作を描きました。ここでは中国人の子供、西洋人の女性が登場します。
大きな盃に、手酌ならぬ鼻酌でお酒をついで飲んだり・・・
鼻に子供を乗せての軽業、曲乗りを披露するなどとても芸達者です。なお、象が実際にこのような曲芸をしたわけではありません。暁斎は写生をもとに象のあらゆる動きを想像し描いたのです。リアリティのあるたるんだ皮膚には暁斎の鋭い観察眼が、人間臭い表情には豊かな創造力が見て取れます。ただし、霊獣としての厳かな雰囲気はあまり感じられませんね。
月岡芳年「和漢百物語」将武 慶応1年(1865)大判錦絵
これも幕末に描かれた1点ですが、江戸時代の小説『昔話質屋庫』(文化7年[1810]刊)を題材としています。同書の作者は曲亭馬琴、画は勝川春亭。将武の物語の内容と原作の挿図は次となっています。
芳年は、巴蛇を画面外とし、将武が矢を放つ瞬間を暗闇の中に描くことで、緊張感ある画面としました。また興味深いのは象の描写。原作の白象は、仏画の影響を思わせる細長い目に、非常に長い牙の姿で描かれます。
対して本作では、(闇夜のせいかもしれませんが)暗い肌色、短い牙、丸い形の目という姿で表されます。芳年も文久2年(本作の3年前)に渡来した象の姿を知っていたのかもしれません。
また、一族の仇である巴蛇へ向けられた象の、目を見開きながらも怯えたような表情も秀逸です。
揚州周延「世界第一チャリネ大曲馬ノ図」明治19年(1886)大判錦絵3枚続
背景の赤と緑が鮮やかな作品。これは明治19年にイタリアのサーカス団、ジョゼッペ・チャリネの一座が、現在の秋葉原で興行をした際に制作されたものです。このうち、右端に
「六歳の象狂言」と記され、人の頭をかじるかのような象の姿が描かれます。サーカスでは象の曲芸もあり、直立の人を鼻頭にかけ、人の頭を口に入れる芸をしたそうです。他にも、象は鼻でラッパを吹き、オルゴールを奏で、また樽の上で逆立ちなどの芸をしたと伝わります。白い肌色で描かれますが、目は丸く実際の顔に近い描写です。
おまけ 歌川国貞「月の陰忍逢ふ夜 月みる美人」大判錦絵
月を見上げる女性。一見、どこにも象はいないように見えますが・・・
かつて作品紹介の際に、ご指摘いただいたのですが、実は帯に象がデザインされているのです。
かわいらしいですね。当時はエキゾチックな柄として着こなしのアクセントとなっていたのでしょう。
いかがでしたでしょうか。江戸から明治にかけて、浮世絵の中の象の姿をたどると、霊獣・珍獣であった象が、舶来され実際に見ることができるようになると、徐々にその表現やイメージに変化が生まれた様子がうかがわれるのではないでしょうか。
文:赤木美智(太田記念美術館主幹学芸員)
おまけの作品を除く太田記念美術館の所蔵品は、2022年7月30日(土)~9月25日(日)開催の「浮世絵動物園」にて展示いたします。展覧会の詳細については、改めて美術館ホームページにてお知らせいたします。どうぞお楽しみに。
※東京ズーネット どうぶつ図鑑「アジアゾウ」、また上野動物アジアゾウのアルンの動画はこちら。実際の象の姿とも見比べてみてください。
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※太田記念美術館の作品集『浮世絵動物園』はこちら