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月を描かずに月を表現した浮世絵を集めてみた

浮世絵では月が輝く夜の景色がしばしば題材となりますが、そのほとんどが、夜空にしっかりと月を描いています。月を題材とするので、当たり前といえば当たり前なのですが、浮世絵師たちは時には趣向を凝らし、あえて月そのものを描かないという挑戦もしています。今回は、画面の中に月が描かれていないにも関わらず、月の存在を感じる珍しい作品をご紹介しましょう。

まずはこちらの歌川広重の美人画をご覧下さい。女性たちが庭でくつろいでいます。

画面は明るく、パッと見たところ、昼間のワンシーンに感じられます。しかしタイトルを見てみると、「雪月花の内 月の夕部」とあり、月が昇ってきた夕暮れの時間帯を題材としていることが分かります。

縁側を座っている女性をよくご覧下さい。彼女の影が、円窓の障子や縁側に映っています。

左側の女性の足元にもくっきりとした影が。さらに後ろの樹木や垣根の影も地面に映っています。

これは月明かりに照らされて出来た影です。これだけくっきりと影が映っているので、おそらく満月の光なのでしょう。空にはまったく月は描かれていませんが、影だけで月の存在を私たちに伝えているのです。もしかすると中央の大きな円窓には、月のイメージが重ねられているのかもしれません。月そのものを頻繁に描いていた広重にしては珍しい、趣向を凝らした作品となっています。

次は、小林清親の「五本松雨月」。小名木川のそばに植えられた五本松という巨大な松が、闇の中に浮かび上がっています。

川沿いには雨の中を傘をさしながら歩く人たちが。手に持った提灯の光で明るく照らされています。地面は雨でビシャビシャに濡れているのでしょう。提灯の光が水たまりに反射しています。

夜空を見てみますと、真っ黒な雲の合間から黄色い光が漏れていることが分かります。月の光なのでしょう。

厚い雨雲のために、月の姿をはっきりと見ることができませんが、少しずつ雨も落ち着き、薄くなった雲の隙間から月明かりがこぼれているようです。月そのものは描かれていませんが、その光によって、雲の向こうに月の存在を感じさせているのです。雨はもうすぐ止むに違いありません。

最後にご紹介するのは、月岡芳年の「月百姿」の一枚。平安時代の女流歌人である赤染衛門です。何やら上の方を見上げています。

百人一首に詳しい方であれば、赤染衛門の名前を聞いてピンときたのではないでしょうか。右上の四角の中に「やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶく迄の月を見しかな」という、百人一首に収録された赤染衛門の和歌が記されています。

恋人の訪れを夜が更けるまで待ち続け、とうとう西の空に沈んでいく月を眺めてしまいました。こんなことならぐずぐず起きずに、さっさと寝てしまえばよかったのに、という内容です。

この女性は、恋人がいつまで待っても来てくれないことにがっかりしながら、寂しそうに月を眺めているのです。この和歌を踏まえると、女性の寂しげな視線の向こうに、画面の中には描かれていない月の存在が感じられるのではないでしょうか。

月岡芳年は他にも「月百姿」の中で、月を直接描かない作品を残しています。こちらの記事をご覧下さい。

以上、月を描いていないけれども、月を表現している浮世絵を集めてみました。皆さんの心の中に月は見えたでしょうか。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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