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おいしいの視線の先は?―月岡芳年「風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗」

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満月の輝く夜、建物2階の縁側で女性がにこやかな表情をしている。右手に持つ串の先に刺さっているのは、天ぷらだ。しっぽがあるので魚であろう。メゴチかキスだろうか。

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染付の大皿に天ぷらが盛られ、縦じま模様のそばちょこには、天つゆがなみなみと注がれている。

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江戸時代の庶民たちに人気のグルメといえば、そば、すし、うなぎ、そして、天ぷらである。江戸の町でいう天ぷらとは、魚介類にうどん粉をまぶして、ごま油で揚げたもの。アナゴや芝エビ、コハダや貝柱などが好まれた。

天ぷらは油を使うため、火事になるのを警戒し、はじめは屋外の屋台で販売されていた。値段も安く、立ったまま気軽に食べる江戸っ子たちのファストフードである。

それが幕末の嘉永年間(1848~54)の頃、この浮世絵が設定している時代になると、衣に卵を使った高級天ぷらを出す店も登場し、座敷でも食べられるようになった。

さて、この作品は、月岡芳年が晩年に手掛けた美人画の代表作である。女性たちの上半身をクローズアップし、うれしそう、寒そう、痛そうといった、心の内面を描き出そうとした揃物だ。

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題名となっている「むまさう」とは「うまそう」のことで、天ぷらがおいしそうだという気持ちを、わずかにほころんだ口元と、顎にあてた手の動きで表現している。

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ここで注目したいのが、女性の視線だ。天ぷらではなく、反対側を向いている。おそらく隣には親しい間柄の誰かがおり、天ぷらがおいしそうだと語りかけているのであろう。同じ食事を共有できる人が一緒にいることで、その味は何倍も美味しく感じられるに違いない。

なお、「風俗三十二相」の中から「いたさう」「さむさう」「うれしさう」など24点をオンライン展覧会「月岡芳年 血と妖艶」で紹介しています。ただし「むまさう」は含まれておりません。

文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

初出:『毎日新聞』2020年11月16日(月)夕刊 「アートの扉:発見!お宝 太田記念美術館4」「月岡芳年 風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗 うまい共有幸せの口元」


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