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江戸時代のお蕎麦屋さんをご紹介します。

江戸っ子たちが大好きだったグルメといえば、蕎麦。今回は、浮世絵の中に描かれたお蕎麦屋さんをご紹介します。

まずは、屋台を担いで蕎麦を売り歩く、夜蕎麦売りの浮世絵から。歌川国貞の「今世斗計十二時 寅ノ刻」です。寅ノ刻とは深夜3時から5時ごろのこと。岡場所の遊女が描かれていますが、左上をご覧下さい。

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こんな深夜まで、蕎麦を売り歩いている夜蕎麦売りの様子です。屋台に風鈴が2つぶら下げられているところにご注目ください。

これは夜蕎麦売りの中でも、風鈴蕎麦と呼ばれるもの。夜蕎麦売りには、安価なかけそばを売る夜鷹蕎麦というものがありましたが、夜鷹蕎麦よりも上等な蕎麦売りが、この風鈴蕎麦でした。かけそばに具を載せており、値段もやや高かったといいます。しかし、夜鷹蕎麦も真似をして風鈴をつけるようになり、この絵が描かれた時期には、見分けはつかなくなったそうです。

次は、歌川国貞の「當穐八幡祭(できあきやわたまつり)」。こちらは歌舞伎舞台の一場面なのですが、夜蕎麦売りの屋台の内側がしっかりと描かれた珍しい作品です。

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丼や盆、麺を茹でる鍋、箸を入れたザルなど、狭いスペースにさまざまな道具がコンパクトに収納されています。蕎麦つゆも温められているようです。看板には「二八そばうんとん」とあるので、うどんも扱っていたのでしょうが、当時の江戸っ子たちの人気は断然、蕎麦でしょう。

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ちなみに、江戸東京博物館の常設展示室には、蕎麦屋の屋台の復元がおいてあります。

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次は店舗型の蕎麦屋さんをご紹介。幕末、江戸の町には700軒以上の蕎麦屋さんがあったとされるほど、飲食店としてかなりの店舗数がありました。こちらの歌川国芳の「木曽街道六十九次之内 守山 達磨大師」は、江戸の町の蕎麦屋ではなく、現在の滋賀県守山市に位置する守山宿の蕎麦屋を描いています。

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現代のように椅子に座って食べるのではなく、畳の上に座り、床にお盆や蒸籠(せいろ)を置いて食べていました。蕎麦をたらふく食べているのは、達磨大師。右の蒸籠はすでに空っぽですので、もう20人前近くは食べている計算。目の前に10人分が積まれているのに、さらに追加オーダー。

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蕎麦を運ぶ店員さんも、本当にぺろりと全部食べてしまいそうだなあと、達磨の大食漢ぶりに戸惑いの表情です。ちなみにこの作品、「守山」から「もりそば」が「山のよう」というダジャレの発想から描かれたと推測されます。

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次は、出前をしているお蕎麦屋さん。歌川広景「江戸名所道化尽 九 湯嶋天神の台」です。湯島天神を通りかかったところ、野良犬に足を噛まれてしまい、運んでいたお蕎麦をひっくり返してしまいました。

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野良犬、蕎麦屋の足をガブリ。蕎麦屋はあまりの痛さに、大声をあげています。

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災難なのが、たまたま近くを歩いてた武士。頭から蕎麦をかぶって、転んでしまいました。何とか威厳を保とうと、慌てていない素振りを見せていますが…

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お付きの男は指をさして笑っています。主人が大変な有り様なのに、ひどいですね。

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さて、最後は、こんなところに蕎麦屋の屋台が!?という浮世絵をご紹介。立ちながら食べている客もいますが、はたしてどのような場所だと思いますか?

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正解は、こちら。なんと汐干狩りが行なわれている場所です。品川沖でしょうか。歌川貞秀の「汐干狩の図」という作品の一部です。汐干狩りの季節、早朝に沖まで船に乗り、潮が引いて地面になったところで、貝や魚を収穫しました。

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ご覧のように、汐干狩には大勢の人たちが。それを目当てにいろいろな物売りたちも集まってきています。蕎麦屋の屋台もその一つ。何とも商売熱心ですね。

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参考文献

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文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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