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歌川国芳が描いた「九尾の狐」の物語

「九尾の狐」あるいは「玉藻の前」という妖怪を、漫画やアニメ、ゲームのキャラクターとして知ったという方も多いのではないでしょうか。

「白面金毛九尾の狐」という妖怪は、絶世の美女に姿を変え、さまざまな国の為政者たちをたぶらかしたことで知られており、その悪行は、中世や近世のさまざまな物語の中で語られています。特に、江戸時代後期には、岡田玉山作・画『絵本玉藻譚』や高井蘭山作・蹄斎北馬画『絵本三国妖婦伝』といった読本(よみほん)が広く読まれました。

歌川国芳は、『絵本玉藻譚』を参考にして、「三国妖狐図会」という九尾の狐の物語を題材としたシリーズ物の浮世絵を制作しています。全部で6点が確認されているのですが、今回は、太田記念美術館が所蔵する3点の作品についてご紹介しましょう。

①「三国妖狐図会 蘇妲己駅堂に被魅」

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まずは、九尾の狐の物語の発端となる中国から。殷が滅びた時代ですので、紀元前11世紀のお話です。殷の国王・紂王(ちゅうおう)は、冀国候・蘇護の娘である妲己(だっき)という16歳の美しい娘を、後宮へ迎え入れようとします。

紂王の元へと向かう妲己ら一行は、淫邪が集まり往来の人を迷わすという宿に泊まります。夜中、一陣の怪風と共に、九尾の狐が妲己の寝ている枕元に現れますが、それに気が付いた侍女が短刀を抜き、九尾の狐に斬りかかろうとします。

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侍女は、九尾の狐に対して恐れることなく、毅然とした表情で、短剣を片手に走り寄っています。しかし、九尾の狐は難なく侍女を殺してしまいます。

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この場面、国芳は『絵本玉藻譚』第一巻の挿絵を参考にしています。右側にいる、短剣を持って走り寄る侍女の姿がそっくりです。(画像は国文学研究資料館所蔵)

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しかし、『絵本玉藻譚』の九尾の狐は小さく描かれすぎていたためか、国芳は『絵本三国妖婦伝』上編巻之一の蹄斎北馬の挿絵を参照して、九尾の狐を描いています(画像は国文学研究資料館所蔵)。確かに北馬の方が、迫力ある九尾の狐の姿になっています。

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九尾の狐は侍女を殺した後、妲己の血を吸ってその体に入り込み、紂王の寵愛を受け、悪逆の限りを尽くすことになるのです。

②「三国妖狐図会 華陽夫人老狐の本形を顕し東天に飛去る」

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次は、インドの物語。殷から逃げ去った九尾の狐は、今度は華陽夫人として生まれ変わり、南天竺の天羅国の国王、班足王(はんそくおう)の寵愛を受けます。

班足王をたぶらかした華陽夫人。自らの病を治すため、百人の国王を殺してその首を差し出すよう、班足王に懇願します。その願いを聞き入れた班足王が王たちの首を斬らせようとしたところ、西の空から阿弥陀三尊が出現し、光を放ちます。その光に当たった華陽夫人は、苦しみながら本来の狐の姿となり、東へと逃げ去っていきました。

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正体をばらされて、憎々しげな表情をする九尾の狐。体はすっかり元の狐に戻ってしまっていますが、着ている衣装は華陽夫人の物。裳裾が九つの尻尾のようになっています。

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こちらが、華陽夫人にたぶらかされた班足王。華陽夫人の正体にこれまで気が付くことが全くなかったので、驚きの表情で、正体を現した九尾の狐を見つめています。

やはりこの場面も、国芳は『絵本玉藻譚』第三巻(画像は国文学研究資料館所蔵)を参照しています。

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③「三国妖狐図会 玄翁一喝して悪狐の霊を滅す」

最後は、物語のラストシーンに近い場面。今度は平安時代の日本にやって来た九尾の狐。玉藻前(たまものまえ)という美しい女性となり、鳥羽上皇の寵愛を受けます。しかし、その正体がばれ、上総介広常と三浦介義明らによって仕留められました。しかし、九尾の狐の執念は殺生石となり、近づく人間の命を奪うようになります。

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この作品は、それから200年以上経った室町時代のこと。玄翁(げんおう)という和尚が殺生石の前で100日間の法事を行なうと、殺生石のそばに美しい女性の姿をした九尾の狐の魂が現れます。玄翁が殺生石を杖で叩くと、石は砕け、九尾の狐は成仏しました。

この場面も、まずは『絵本玉藻譚』第五巻(画像は国文学研究資料館所蔵)を参照しています。

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ただし、国芳は九尾の姿が成仏する姿ではなく、官女の姿で描いています。

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こちらは『絵本三国妖婦伝』下編巻之五(画像は国文学研究資料館所蔵)を参照しているのでしょうか。

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また、殺生石の傍らには骸骨が転がっています。殺生石によって命を奪われた人の遺体でしょう。

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こちらは『絵本玉藻譚』第一巻(画像は国文学研究資料館所蔵)を明らかに手本としています。

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以上のように、歌川国芳は九尾の狐の物語を題材とした浮世絵を描いていますが、それに先行する読本を大いに参考にしています。九尾の狐の物語は、このように脈々と受け継がれていたのです。(※なお、図像の典拠については、鈴木重三『国芳』(平凡社、1992年)を参照しました。)

今回紹介した3作品以外に、国芳は他に3点の「三国妖狐図会」を手掛けています。ご興味のある方は、下のリンク先をご覧下さい。いずれも大英博物館の所蔵です。

④「三国妖狐図会 南天竺の国王班足太子怪力」

⑤「三国妖狐図会 華陽夫人采姫が眼を射て班足王をなぐさむ」

⑥「三国妖狐図会 道晴清水寺にいのりて子をもふく」

また、読本『絵本玉藻譚』と『絵本三国妖婦伝』は同じ九尾の狐の物語ですが、細かいストーリーはかなり異なります。

『絵本玉藻譚』を読みたい方は以下をご参照ください。

『絵本三国妖婦伝』をお読みになりたい方は、以下をご参照ください。

朝里樹氏編著の『玉藻前アンソロジー 殺之巻』は、読本の『絵本三国妖婦伝』のほか、御伽草子の『玉藻の草子』、合巻の『糸車九尾狐』、戦記物語の『那須記』、謡曲『殺生石』などを現代語訳しています。九尾の狐や玉藻前の物語について広く知りたいという方は、ぜひご一読ください。

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文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)

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