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幕末に人を食べる鬼娘がいた話
漫画『鬼滅の刃』では、人間を襲う鬼が登場し、主人公・竈門炭治郎の妹である禰󠄀豆子も鬼と化してしまいます。『鬼滅の刃』は大正時代の物語ですが、幕末にも人間を食べる鬼娘がいたという噂話が伝わっています。
こちらは重丸という浮世絵師による「鬼娘退治」という作品です。
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画面の中央には、赤ん坊を口にくわえている女性がいます。女性の口は血で染まり、赤ん坊もぐったりしています。頭には2本の角が生え、まさしく人を喰らう鬼の姿となっています。
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状況を把握するため、まずは画面右上の文章を読んでみましょう。
此節、市中へ夜な夜な鬼娘とゆう者が出て、小児を取り食ひ、乱暴致し、甚難儀いたし候に付、さる御やしき様へ相願候処、早速御聞きすみあり、鉄炮組をもって町々を相廻り候処、鬼娘に出会、直様鉄炮にて打留候に付、人々安堵の思ひなしけり。
この浮世絵の改印は慶応3年(1868)2月。翌年の9月には明治と改元されますので、幕末も幕末、徳川幕府がまもなく終焉を迎えようという時期でした。
この頃、市中には「鬼娘」が出没し、小さな子供を襲って食べてしまうという事件が起きます。そこで「御やしき様」が「鉄炮組」に警備をさせたところ、鬼娘に遭遇し、すぐさま鉄砲で仕留めたというのです。
改めて、鬼娘の姿を見てみましょう。
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頭に2本の角が生えている以外、普通の人間の姿をしています。しかし背後には巨大な猫の影が。尻尾が二股にわかれていますので、猫又の妖怪なのでしょう。猫又が女性に変化したのか、あるいは女性が猫又に憑りつかれたのか、その正体は分かりません。しかし、鬼娘は「鉄炮ぐらひで怖れるものか」というセリフを喋っていますので、鉄砲を持った男たちに囲まれても動じない、かなり強気な性格のようです。
この鬼娘を退治しようとするのが、さる「御やしき様」に仕える「鉄炮隊」です。『鬼滅の刃』の鬼殺隊さながら、鬼娘を取り囲んでいますが、武器は刀ではなく、銃の先端に短剣のついた銃剣です。
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鉄砲組の男たちは、「器量はいいが、恐ろしい奴だ」と、美しい姿をした鬼娘を恐れる者がいる一方、「こいつお生け捕って、両国へ見世物に出したら儲かるだろう」と、一儲けを考える者もいたようです。
鳶口を持った火消たちも、鬼娘に手こずっていたようですが、鉄砲組が来てくれたおかげで「しめた、しめた。もう大丈夫だ。ありがてへ、ありがてへ」と安堵しています。
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鬼娘の話は、当時かなり噂になっていたようで、他にいくつもの浮世絵にその姿が描かれています。
例えば、こちらは武田幾丸「鬼の一口ばなし」。先ほどの「鬼娘退治」と同じ慶応3年(1867)2月の改印があります。鬼娘が墓地で赤ん坊を噛り付いているところで、周りの男たちが慌てています。
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先ほどの「鬼娘退治」より、角はさらに伸び、口は大きく広がっています。鬼化がさらに進んでいるようです。
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添えられている戯文はほとんど何も説明していませんが、鬼が子どもを食べるという噂は、この時、確かに広がっていたようです。
この節、鬼がやたらに子供をとつて喰ふといふ事だが、俺がいいことお考へたが、五月幟を見せたらよかろふ。子供を喰ふくらいだから、本気の沙汰ではあるまい。あれを見せたら早速せうき(鍾馗・正気)になるだらう。
もう一例、ご紹介しましょう。武田幾丸の「虚実弁解 媿のはなし」(個人蔵)です。先に紹介した作品と同じように、赤ん坊に噛り付く鬼娘を見て、周りの男たちが驚いています。
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鬼娘は前髪に赤いリボンを結んでいますので、もともとは若くて可愛らしい女の子だったようです。しかし、これまで紹介した浮世絵と比べても、角が伸び、口も広がって、より一層いかめしい顔になっています。鬼化がさらに進んでしまったようです。
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以上、幕末に刊行された鬼娘の浮世絵について紹介しました。はてして幕末の鬼娘は、鬼舞辻無惨とのつながりはあったのでしょうか(笑)。
なお、参考資料としまして、朝里樹監修・氷厘亭氷泉著『日本怪異妖怪事典 関東』(笠間書院)には「鬼娘」の項目があり、江戸の本郷丸山あたりに出ると噂されたことや、他の浮世絵の題名が紹介されています。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)
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