北斎が死の淵から自力で蘇ったという話
葛飾北斎は文政10~11年(1827~28)、数え68~69歳の頃、中風(ちゅうぶう)、すなわち脳血管障害の病気を患います。
脳血管障害の症状は人によって様々ですが、たとえば、北斎の兄弟子である勝川春好も中風を患い、絵師の命ともいえる利き手が麻痺してしまいました。晩年は左手で絵を描くようになりますが、病気する前と同じようにはいかなかったことでしょう。
歌川国芳も安政2年(1855)、59歳の頃に中風で倒れます。しばらくして回復し、作画活動を続けますが、健康状態はあまりよくなく、画力も落ちたようです。国芳研究の第一人者である鈴木重三氏は「安政期は中風を患い衰退の様相が進む。描線に生気なく、構想も働きが乏しくなる。」と評しています(『国芳』平凡社、1992年)。
では、中風を患った北斎はどうなったのでしょうか。春好や国芳とは違い、なんと北斎はすっかり元のように回復するのです。その訳には、北斎自らが作ったという柚子の薬がありました。
その柚子の薬の作り方の手順は、『葛飾北斎伝』に詳しく紹介されています。北斎自身が書き記したというメモの写しを元としています。
材料は、柚子1個、日本酒1合。
作り方は、
① 柚子を細かく刻みます。ポイントは竹製のヘラを使うこと。鉄や銅の庖丁や小刀を使ってはいけません。
② 土鍋に①と日本酒を入れ、水あめくらいになるまで弱火で煮詰めます。鉄や銅の鍋は使わないでください。
③ 白湯に②を入れ、2回くらいに分けて飲みます。柚子の種は煮詰めた後に取り除いてください。
北斎が作ったのは中風の薬だけではありません。健康にはかなり気を使っていたようで、長寿の薬というのも作っていました。
北斎が松代藩士である宮本慎助に渡した「日新除魔図」の中に、北斎自筆による、長寿の薬の作り方のメモが含まれています。
ライチに似たフルーツである龍眼を乾燥させた龍眼肉60グラム、白砂糖30グラム、極上の焼酎一升を壺に入れ、しっかりと蓋をして60日間置いた後、朝と夕方に猪口で2杯飲むというものです。この長寿の薬を服用することで、北斎は88歳まで病気をしなかったと自ら語っているのです。
この北斎のメモは、現在九州国立博物館に所蔵されています。実物の画像をご覧になりたい方は、収蔵品ギャラリーの「日新除魔図」より画像番号070526を探してみて下さい。
さて、中風に罹った北斎。柚子の薬の力によって劇的に回復したとはいえ、症状によっては、二度と絵筆を握れなくなっていた可能性も十分にあったことでしょう。
北斎が「冨嶽三十六景」を刊行するのは、中風にかかってから2、3年後のことです。もし中風の症状がもっと重ければ、代表作となる「冨嶽三十六景」はこの世に生まれなかったことになります。そうすると、現在における北斎の評価が変わるだけではありません。浮世絵の歴史のみならず、日本美術の歴史そのものも大きく変わっていたことでしょう。
すべての芸術家たちが、健康で長生きをし、素晴らしい作品をいつまでも発表し続けることを願います。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)