病気軍 VS 薬軍の戦いをリポートしてみた
妖怪の姿をした病気たちと、擬人化された薬たちとの戦いを描いたユニークな作品です。描いたのは、歌川国芳の門下である歌川芳虎。動物や器物などを擬人化してユーモラスに描く手法は、国芳が天保期(1830~44)の終わり頃から盛んに手掛けており、弟子たちも数多くの作品を残しています。ここでは、たくさんの薬や病気たちが各所で戦いを繰り広げる本作を、細部まで見てみましょう。
画面右で、薬軍の指揮をとっているのは医学の神様としても知られる神農です。周囲には武士の姿をしたたくさんの薬たちが描かれています。薬たちが掲げる旗指し物には、薬の名前や店の住所などが記されています。なお旗指物に「本一」「本四」などとあるのは、薬種問屋が多かった本町の一丁目や四丁目などを指すものと思われます。
描かれた薬や病気たちのうち、目につくものを見ていきましょう。画面右からまず「万金丹」は伊勢参りのお土産として有名な胃腸薬で、「奇応丸」は子供の夜泣きなどの薬。いずれも現在でも販売が続けられている薬だそうです。
「調痢丸」は日本橋本町にあった薬種問屋「鰯屋」が販売する下痢などに効く胃腸薬。「救命丸」は子供の夜泣き、かんの虫の薬で、現在では「宇津救命丸」として知られます。「三保丸」は本町にあった薬種問屋菱屋が販売したもので、大人、子供の諸病に効能がある薬。
枇杷葉湯は、乾燥させた琵琶の葉と、肉桂や甘草などを混ぜた粉を煎じたもので、暑気あたりや痢病に効能がありました。京都の烏丸に本家があり、江戸では馬喰町三丁目にあった山口屋又三郎が販売しました。夏場には天秤棒を担いで枇杷葉湯を売る行商が風物詩となりました。
実母散は更年期の症状などに効く婦人薬で、江戸時代には喜谷市郎右衛門が京橋に店を出して販売し、現在まで歴史が続いています。
続いて、敵陣に攻め込んでいる薬たちを見てみましょう。「一角丸」は子供のひきつけや麻疹などに効能があった薬。「消毒丸」については備中の薬のようですが、効能などは不詳。旗指物に「浅草 尾張丁 両国」、甲冑に「虎屋」とあり、虎屋という店が販売したものでしょうか。
さて、さまざまな薬たちの中で、ひときわ目を引くのがカタカナ名の「ウルユス」。名前にあわせて、武者も西洋風の衣装で描かれています。舶来の薬かと思いきや、名前だけ西洋風を装ったもので、文化8年(1811)に販売されました。「ウ」と「ル」と「ユ」を組み合わせると「空」の字になることから、「空」に「ス」る、ということでお腹の中を空にする効能があったそうです。
「熊の胆(膽)」は熊の胆嚢を乾燥させたもので、健胃薬、強壮薬として親しまれました。図では熊の顔で描かれており、健胃薬だからか、「はら虫」と組み合っています。
「錦袋円」は池之端の勧学屋が販売した丸薬で、痛み止め、気つけ、毒消しなどの効果があったそうです。図では「ふさぎ虫」を持ち上げています。ふさぎ虫は憂鬱の原因をなす虫で、錦袋円による気つけの効果で元気が出るということでしょうか。
「陳熟艾」は京都の釜屋彦一郎が本家の艾で、江戸では小網町の釜屋茂兵衛が販売したようです。図では「なきむし」の背中を槍で突いています。「なきむし」の隣にいるのは「ひいきよ(脾胃虚)」で、胃腸が弱って食べても太れない病気のこと。下に見えるのは本町三丁目の真寿軒が販売した「薄荷円」で、気つけ、毒消し、食あたりなどに効能があった薬。
画面の左の方は病気軍の陣地で、薬軍の先鋒と激しい戦いが繰り広げられています。ナタを振り上げているのは「三臓円」で、気根を強くする薬。大坂の法橋吉野五運製で、江戸では本町四丁目の酢屋平兵衛が販売しました。となりで戦っている「五臓円」は滋養強壮の薬。周囲には「ほうそう」「めまひ(眩暈)」「はやり風」「きょしやく(虚弱)」「せんしゃく(疝癪)」など、さまざまな病気たちの姿が見えます。中でも左の「かんしやく(癇癪)」はかなり手強そうな風貌をしています。
「肝涼円」は子供の気つけや腹痛の薬。図では武者が龍の姿になっています。肝涼円が追いかけているのは「まんけうふう(慢驚風)」。ひきつけを起こす幼児の病気で、慢性のものを言います。上半身がコウモリを思わせる外見がなんとも不思議ですね。下の「人参膏」については、効能などの詳細は不詳。
以上、病気軍と薬軍の戦いをリポートしてみました。
文:渡邉 晃(太田記念美術館上席学芸員)
江戸時代の民間信仰や迷信、噂話をテーマにした「信じるココロー信仰・迷信・噂話」展(2022/2/4~27開催)。現在、同展のオンライン展覧会を有料にて配信です。展覧会に出品された56点全点の画像や解説を収録しており、本記事で取り上げた作品のほかに、病気に関わる迷信を題材にした浮世絵を紹介しています。ぜひご覧ください。