蔦屋重三郎が作った浮世絵を簡単に見極める方法
2025年のNHKの大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公となった蔦屋重三郎(1750~1797)。蔦屋重三郎って誰?、何をした人なの?と疑問に思っている方も多いかと思いますが、一言でいえば「出版社の社長」。歌麿や写楽といった浮世絵を出版したプロデューサーです。
蔦屋重三郎については、これから追々紹介していく予定ですが、今回は蔦屋重三郎が出版した浮世絵を見極める簡単なテクニックをご紹介しましょう。
浮世絵版画には、絵の中にいろいろな文字やマークが記されています。作品の題名であったり、浮世絵師のサインであったりするのですが、そのうちの一つに「版元印」というものがあります。
版元印とは、浮世絵版画の制作を指揮した「版元」が誰であるかを明らかにするハンコのことです。浮世絵版画は、北斎や写楽といった浮世絵師が好き勝手に制作するものではありません。企画を立て、制作を決定するのは版元です。浮世絵師は版元からの依頼があってはじめて仕事をスタートさせますので、版元は絵師以上に重要な存在なのです。小説や漫画を出版する現代の出版社と同じような役割と考えてみると分かりやすいでしょう。
こちらの浮世絵をご覧ください。東洲斎写楽の「中島和田右衛門のぼうだら長左衛門と中村此蔵の船宿かな川やの権」です。
左上をアップで見ると、ご覧のとおり。「東洲齋寫樂画」という写楽のサインと、「極」の文字のある丸いハンコ、そして、山型に蔦の葉のマークがあります。
この山型に蔦の葉のマークが、蔦屋重三郎が出版したことを示す版元印なのです。(ちなみに「極」の印は、出版の検閲を受けたことを示す改印(極印)です。)
江戸時代は出版取締令により、出版物に版元の実名を記すことが求められていました。出版物は幕府の規制も多かったため、法に触れるものを出版しないよう、責任者が誰であるのかを明らかにする必要があったからです。浮世絵版画の場合も、その多くに版元印が捺されていますが、文字だけのものもあれば、マークだけのものもあり、その形はさまざまです。
写楽以外の浮世絵も見てみましょう。こちらは喜多川歌麿の美人画「婦女人相十品 文読む女」です。
右上の歌麿のサインと改印の下に、蔦屋重三郎の版元印があります。
また、葛飾北斎の浮世絵も蔦屋重三郎は刊行されています。北斎が「勝川春朗」と名乗っていた若い頃に制作した「梶原源太景季」という武者絵です。
左下に、蔦屋重三郎の版元印があります。
さらにこちらは歌川広重の「諸国六玉河 紀伊高野之玉河」です。
画面の右端に版元印があります。ちなみに、この広重の作品が刊行された頃、大河ドラマの主役となる蔦屋重三郎はすでに亡くなっています。しかし、番頭が跡を継ぎ、蔦屋重三郎という版元は少なくとも四代目まで続きました。この作品はおそらく三代目の蔦屋重三郎の時の制作です。
このように、山型に蔦の葉のハンコを発見できれば、これが蔦屋重三郎が刊行したということが簡単に分かるのです。ぜひ浮世絵を見るときに、この版元印がないか、探してみて下さい。
ただ、その際にちょっと注意が必要なのが、こちらの版元印です。
溪斎英泉の「契情道中双六 岡部 尾張屋内 江仁志」です。
蔦屋重三郎の版元印とよく似ていますが、よく見ると、山型と蔦の葉の間に丸い点があることに気がつかれたでしょうか。これは蔦屋吉蔵という別の版元のハンコなのです。蔦屋重三郎から暖簾分けされたお店と推測されますが、詳しくは分かっていません。初代の蔦屋重三郎が亡くなった後に店を構え、明治時代中期まで活躍しました。蔦屋重三郎のハンコと間違えないようにご注意ください。
さて、今後、蔦屋重三郎の人となりや、彼が出版した書籍や浮世絵についても追々紹介していきます。乞うご期待。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)
蔦屋重三郎は出てきませんが、写楽と北斎の話です。