江戸っ子たちの願い事がかなり好き勝手だったという話
神さまや仏さまに悩み事を解決してもらうため、お願い事をするというのは、今も昔も変わりません。江戸時代もさまざまな神仏が信仰され、大勢の人々が参拝に訪れました。
江戸時代、爆発的な人気となった神仏の一つが、現在の東京都新宿区新宿2丁目にある正受院の奪衣婆像です。
奪衣婆とは、三途の川のほとりに立っていて、亡者の衣服をはぎ取る鬼の老婆のこと。恐ろしい形相をしており、願い事をしたくなるようなありがたい存在には見えません。
しかしながら、幕末、正受院の奪衣婆は、咳止めに霊験があるとして、多くの人たちに信仰されました。お礼参りに綿を奉納する習慣があったため、「綿のおばば」とも呼ばれています。特に、嘉永元年(1848)の秋から翌嘉永2年(1849)にかけて、奪衣婆像が突如として人気となり、大勢の参拝客が訪れたことが記録されています。
そして、その人気に便乗した浮世絵師たちが、奪衣婆を題材とした浮世絵をいくつも刊行しました。当時、トップレベルの人気浮世絵師であった歌川国芳もご多分に漏れず制作しているのですが、今回はその中から、江戸っ子たちが奪衣婆に願い事をしている様子を描いた作品をご紹介しましょう。
11人の男女が両手を合わせ、奪衣婆に向かって願い事をしています。その願い事、ご覧のようにくずし字で記されていますが、ちゃんと読んでみると、実は結構わがままなものばかりなのです。そんな江戸っ子たちの好き勝手な願い事をひとつひとつ見ていきます。
なお、文章は読み易いように、平仮名を漢字にしたり、旧仮名遣いを新仮名遣いにしたり、句読点を打ったりするなど、部分的に変更を加えています。
まず、左上にいる横顔の男性から。
横顔を見る限り、美男子には見せませんが、本人はかなり自惚れているようで、自分の事を「ずいぶんいい男」と言っています。しかも欲望は尽きないようで、「とてもの事に(いっそのこと)」平安時代の歌人で美しい男性として知られた在原業平のようになって、いろいろなところで可愛がられたいそうです。
次は、三角形の鼻をした男性。
この男性、鼻が低いので、鼻を高くしたいと願い事をしています。気になるのは、鼻さえ高くなれば、かなりの色男になると思っているところ。はたして鼻を高くするだけで何となるのでしょうか…。
3番目は髭の剃り跡が青々とした男性。
頼母子というのは頼母子講のこと。グループでお金を出し、抽選でその中の1人がお金を手にするというものです。この男、お金を得たら燈籠を2つ奉納しますと言っています。ここまでは殊勝なことと思いますが、その後をよく聞いてみると、「がらがら煎餅」から出てきた燈籠をあげるといっています。がらがら煎餅とは、中に玩具が入った煎餅のこと。この男、本物の燈籠ではなく、玩具の燈籠を奉納しますと言っているのです。
次は年配の男性です。
この年配の男性は、大人しくて、真面目に働いて、持参金をたくさん持ってくる養子が欲しいと願っています。そういう養子が欲しい気持ちは分かりますが、そんな都合のいい男性が養子にきてくることはそうそうないでしょう。
次は女性です。
この女性、男っぷりがよくて、大人しくて、気立ても柔らかで、さらにお金持ちの男性と結婚したいと願っています。気持ちは分かりますが、すべてを満たすとなるとなかなかの高望みです。興味深いのは、「大人しい」男性を望んでいるところ。先ほどの年配の男性も「大人しい」養子を欲しがっていました。この時代、荒々しい肉食系の男性よりも、草食系の男性が好まれていたのかもしれません。
次はかなり年配のお婆さん。
「南無おばあ様」と奪衣婆にお願いしているのは、長生きをしたいということ。気持ちは理解できますが、このお婆さんは今から300年、500年も長生きをしたいとお願いしています。どう見ても、かなりの高齢者ですが、さらにそこから何百年も長生きしたいというのは、さすがに欲が深いのでは…。
次は真面目そうな男性。
この男性、まず何も望みはありませんと言います。珍しく欲の無い人もいるものかと思いましたが、その後、貸蔵を100棟、しかも今年中に欲しいとお願いしています。実はかなり強欲な男性のようです。
次は、ちょっと個性的な顔をした男性。
この男性、歴史上の力持ちとして知られる武蔵坊弁慶や朝比奈義秀と相撲を取っても負けないようにして欲しいと願っています。相撲が強くなりたいだけならまだしも、歴史上の力持ちに匹敵するほどの力をとなると、なかなか大それた願い事です。
最後は横顔の男性。
この絵からは分かりませんが、この男性、どうも背が低いようです。五寸=15㎝ほど背が高くなりたいとお願いしていますが、15㎝は神さまや仏さまでもどうにもできない数字。この男性、背が低いのがくやしいので、足駄(高い歯のある下駄)を毎日履いていて、とても疲れているそうですが、そんなことを言われても…という感じです。
さて、こんな大勢の江戸っ子たちの無理難題を、奪衣婆は大人しく聞いてあげているのですが…
表情をよく見てみると、明らかに呆れた様子。そんなお願い事をされても私にはどうにもできないよという表情です。奪衣婆の人気に群がる身勝手な人たちを歌川国芳が風刺しています。
皆さまも、叶えることができないような願い事を神さまや仏さまにし過ぎないように気をつけてください。奪衣婆のように神さまや仏さまに呆れられてしまいますよ。
江戸時代の流行神を紹介した「信じるココロー信仰・迷信・噂話」展。オンライン展覧会では56点の浮世絵の画像や解説を有料で配信しています。今回紹介した作品はもちろん、他の奪衣婆の浮世絵も収録しています。ぜひご覧ください。
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なお、翻刻は以下の通りです。
文:日野原健司(太田記念美術館主席学芸員)