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【オンライン展覧会】江戸メシ

太田記念美術館の「江戸メシ」展(2025年1月5日~1月26日開催)のオンライン展覧会です。

画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくような感覚でお楽しみいただけます。
オンライン展覧会の入館料は1,000円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。いつでも、どこでも、お好きな時に「江戸メシ」展をご鑑賞ください。

展示作品リストはこちら→https://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/2024/12/edomeshi-list.pdf


はじめに

 江戸時代は日本において食文化が大きく発展した時代です。
 現在、寿司や蕎麦、天ぷらといった和食が高い人気を誇っていますが、そのルーツをさかのぼれば江戸時代にたどり着きます。これらの和食は、当時、庶民たちが手軽に食べることのできるファストフードとして親しまれていました。
 また、料理の味付けには欠かすことのできない味噌や酢、醤油といった調味料が広く流通するようになったのも江戸時代です。江戸っ子たちは、自宅で料理をすることはもちろん、近所の店で惣菜を買ったり、屋台や料亭に足を運んだりして、さまざまな美味しい料理に舌鼓を打っていました。
 庶民たちの暮らしを題材とする浮世絵では、さまざまな料理や食材、あるいは食事の様子などがさまざまな形で描かれています。本展覧会では、北斎や広重、国芳などの人気絵師たちの作品を含む、91点の浮世絵や絵本を通して、現代の食文化にもつながっている「江戸メシ」の魅力を紹介いたします。

Ⅰ.さまざまな料理

 多様な食材にめぐまれた日本では、素材の味わいを生かした料理が作られました。寿司や蕎麦、天ぷら、鰻など、現在でも人気の高い和食のルーツは江戸時代にあります。他にも、刺身や鍋物、あるいは、甘いスイーツなどもさまざまに作られ、人々のお腹を満足させました。餅や七草粥など、年中行事と深く結びついた食事も作られています。本コーナーでは、浮世絵に描かれたさまざまな料理について紹介します。

蕎麦

№1 葛飾北斎「東海道 見附 浜松へ四里八丁」享和4年(1804)

見附宿は現在の静岡県磐田市見付にあった宿場町で、蕎麦が名物でした。看板に「抜そば」とありますが、これは「挽抜そば」という、蕎麦殻を取り除いた蕎麦粉で作った蕎麦のことです。旅人が皿に盛られた蕎麦を箸で取り、つゆにつけて食べようとしています。

№2 歌川国芳「木曽街道六十九次之内 守山 達磨大師」嘉永5年(1852)7月

達磨大師が蕎麦屋で盛り蕎麦をたらふく食べています。右に積まれたせいろはすでに空っぽですので、もう20人前は平らげたようです。蕎麦を運ぶ店員も、達磨の大食漢ぶりに戸惑いの表情。国芳は、木曽街道の宿場町である守山という地名から、山盛りの盛り蕎麦を連想したと思われます。

№3 歌川国貞(三代歌川豊国)「当穐八幡祭」嘉永6年(1853)9月

歌舞伎の一場面を描いた役者絵ですが、右側にいる夜蕎麦売りの屋台の内側がしっかりと描かれた珍しい作品となっています。丼や盆、麺を茹でる鍋、箸など、狭いスペースにさまざまな道具が収納されています。看板に「二八そばうんとん」とあることから、蕎麦だけではなくうどんも売っていたようです。

№4 四代歌川国政「志ん板猫のそばや」明治6年(1873)10月

蕎麦屋にいるのは擬人化されたネコたち。店内ではネコたちが蕎麦に舌鼓を打つ中、店員がせいろをひっくり返してお客の頭にかけてしまうアクシデントが発生。店員「これはそそう」客「たいへん、たいへん」というやり取りが笑いを誘います。店先の屋台では天ぷらを美味しそうに食べるネコたちの姿も見えます。

№5 歌川国芳「道外十二支 未」安政2年(1855)12月

擬人化したヤギのお蕎麦屋さんです。店内の座敷に座ってヤギたちが美味しそうに蕎麦を食べていますが、店内のお品書きを見ると「かみなんばん(紙南蛮)」「花まきがみ(花巻紙)」とありますので、蕎麦ではなく紙を食べているようです。なお、本図は十二支の未にちなんだものですが、江戸時代、ヤギとヒツジは混同されていました。

天ぷら

№6 月岡芳年「風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗」明治21年(1888)3月

明治時代に制作された作品ですが、江戸時代の嘉永年間(1848~54)の女性の姿を描いています。料亭にいる女性が楊枝で刺しているのはコハダかメゴチらしき魚の天ぷら。脇には天つゆがたっぷり入った蕎麦猪口が置かれています。題名には「むまさう」、すなわち「うまそう(美味そう)」とありますが、隣にいる人とのおしゃべりの方に夢中になっている感じもします。

寿司

№7 喜多川歌麿『絵本江戸爵』天明6年(1786)・寛政9年(1797)版

大勢の人が行き交う往来で、寿司の屋台が営業していますが、売られている寿司は現在の私たちに馴染みのある握り寿司ではありません。酢飯を箱に詰めてその上に魚介をのせた押し寿司を食べやすい大きさに切ったもので、早寿司とも呼ばれていたものです。客は包み紙に包んだ寿司を手渡されようとしていることから、その場で立ち食いをするのではなく、テイクアウトするのが一般的だったようです。

№8 歌川国芳「縞揃女弁慶 松か鮨」弘化元~3年(1844~46)

若い娘が手にする皿の上に、エビの握り寿司か押し寿司、玉子の巻寿司、サバらしき押し寿司が盛られています。この寿司は、当時一番の高級寿司屋であった「松が鮨」のもの。この絵が刊行された頃、すでに握り寿司は誕生していますが、高級寿司店であった松が鮨では、手間のかかる押し寿司の方が主流だったようです。幼い子どもは大好きなお寿司を早く食べたいと、ねだるように女の子の袖にすがりついています。

№9 歌川国貞(三代歌川豊国)「見立源氏はな乃宴」安政2年(1855)12月

満開の桜が咲く妓楼で、花見の宴が行なわれています。注目していただきたいのは、画面下の木桶に入った握り寿司。エビや青魚の握り寿司に玉子巻があり、食べやすいように楊枝が刺さっています。握り寿司の登場は案外遅く、文政年間(1818~30)頃とされています。また、染付の大皿に盛られているのはマグロの赤身とタイかヒラメの白身の刺身。紅葉模様の重箱には伊達巻が詰められています。

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