北斎が写楽に嫉妬していたかも、という話
東洲斎写楽は、葛飾北斎よりも一世代以上前に活躍したというイメージがあるかもしれません。写楽の活躍が寛政6~7年(1794~95)。北斎の「冨嶽三十六景」の刊行が天保元~4年(1830~33)。その間、35年近くも離れています。
しかしながら、実は、写楽と北斎の年齢はそれほど離れておりません。
写楽の正体について、さまざまな説があるということはご存じでしょうが、現在の浮世絵研究では、阿波国徳島藩の能役者である斎藤十郎兵衛であるとする見解が一般的になっています。この斎藤十郎兵