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葛飾北斎 記事まとめ

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#美術館

富士山はどれくらい遠くから見えるのか、北斎と広重に聞いてみた。

歌川広重の「冨士三十六景 下総小金原」。手前に大きく描かれた馬が印象的な作品です。小金原…

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北斎は「画狂老人卍」というやんちゃな画号をどのようにして思い付いたのかという話

葛飾北斎が生涯に何度も画号を変えたという話は有名ですが、たくさんある画号の中でも、特に異…

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葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は「三十六景」ではなくて「四十六景」という話

葛飾北斎の代表作である「冨嶽三十六景」。題名が「三十六景」となっていますので、全部で36点…

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【オンライン展覧会】「北斎とライバルたち」(通期)

太田記念美術館にて、2022年4月22日~6月26日開催の「北斎とライバルたち」のオンライン展覧会…

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北斎VS暁斎 漫画対決!

2021年7月22日より9月17日かけて、六本木東京ミッドタウン・ホールでは「北斎づくし」展が開催…

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『北斎漫画』の「漫画」はどういう意味なの?という話

葛飾北斎の代表作である『北斎漫画』は、人物や動物、植物、建物、風景など、ありとあらゆる題…

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『北斎漫画』が北斎の死後30年ほども経って完結した理由とは?

葛飾北斎の代表作である『北斎漫画』。人物、動物、植物、建物、自然など、ありとあらゆる題材が描かれた絵本です。現在のイラスト集やカット集のようなものと言えるでしょう。 この『北斎漫画』は全部で15編からなるのですが、実は最後の15編は北斎が亡くなった後に刊行されたというのはご存知でしょうか?しかもそれは江戸時代が終わり、明治11年(1878)になってのこと。北斎は嘉永2年(1849)に亡くなっていますので、北斎の死後29年という長い時が経ってから刊行されたことになります。

『北斎漫画』の最終巻は北斎の真筆ではない?という話

葛飾北斎の代表作であり、広く海外にも影響を与えた『北斎漫画』。その完結編となる15編が、北…

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北斎の波の絵はどこから富士山を眺めているの?という話

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。荒々しい波の描写が印象的な作品ですが、具…

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浮世絵の摺りの違いを楽しむ豆知識ー葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」

葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の一つである「山下白雨」。「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」に並ぶ…

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北斎の波の細部に迫って鑑賞してみた

葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。世界的にも有名な浮世絵ですので、一度は目…

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葛飾北斎の誕生日はどうやって判明したのかというお話

葛飾北斎の誕生日は、宝暦10年9月23日。現在のグレゴリウス暦に直すと、1760年10月31日とされ…

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北斎が先輩にひどいパワハラを受けたという話

勝川春好(かつかわ・しゅんこう)という浮世絵師をご存じでしょうか?歌舞伎役者を描くことを…

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北斎が写楽に嫉妬していたかも、という話

東洲斎写楽は、葛飾北斎よりも一世代以上前に活躍したというイメージがあるかもしれません。写楽の活躍が寛政6~7年(1794~95)。北斎の「冨嶽三十六景」の刊行が天保元~4年(1830~33)。その間、35年近くも離れています。 しかしながら、実は、写楽と北斎の年齢はそれほど離れておりません。 写楽の正体について、さまざまな説があるということはご存じでしょうが、現在の浮世絵研究では、阿波国徳島藩の能役者である斎藤十郎兵衛であるとする見解が一般的になっています。この斎藤十郎兵